及川古志郎(読み)オイカワ コシロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「及川古志郎」の解説

及川 古志郎
オイカワ コシロウ


肩書
海相

生年月日
明治16年2月8日

出生地
岩手県

学歴
海兵(第31期)〔明治36年〕卒 海大〔大正4年〕卒

経歴
日露戦争に「千代田」乗組で参戦、水雷学校を経て駆逐艦朝潮艦長、「夕霧」艦長、大正4年東宮武官、その後「鬼怒」「多摩」各艦長、軍令部第1班第1課長、海軍兵学校教頭、昭和3年少将、呉鎮守府参謀長、5年軍令部作戦班長、7年第1航空戦隊司令官、海軍兵学校長、10年第3艦隊長官、航空本部長、13年支那方面艦隊長官兼第3艦隊長官、14年大将、15年横須賀鎮守府長官、同年9月第2次近衛文麿内閣の海相となり三国同盟条約締結に踏み切った。16年10月まで在任、対英米開戦の路線を進めた。辞任後軍事参議官、海軍大学校長を兼任、18年海上護衛司令長官、19年8月軍令部総長に就任レイテ沖海戦などを敢行したが、戦況を好転できず、20年5月辞任、軍事参議官となった。

没年月日
昭和33年5月9日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「及川古志郎」の解説

及川 古志郎
オイカワ コシロウ

大正・昭和期の海軍大将 海相。



生年
明治16(1883)年2月8日

没年
昭和33(1958)年5月9日

出生地
岩手県

学歴〔年〕
海兵(第31期)〔明治36年〕卒,海大〔大正4年〕卒

経歴
日露戦争に「千代田」乗組で参戦、水雷学校を経て駆逐艦「朝潮」艦長、「夕霧」艦長、大正4年東宮武官、その後「鬼怒」「多摩」各艦長、軍令部第1班第1課長、海軍兵学校教頭、昭和3年少将、呉鎮守府参謀長、5年軍令部作戦班長、7年第1航空戦隊司令官、海軍兵学校長、10年第3艦隊長官、航空本部長、13年支那方面艦隊長官兼第3艦隊長官、14年大将、15年横須賀鎮守府長官、同年9月第2次近衛文麿内閣の海相となり三国同盟条約締結に踏み切った。16年10月まで在任、対英米開戦の路線を進めた。辞任後軍事参議官、海軍大学校長を兼任、18年海上護衛司令長官、19年8月軍令部総長に就任。レイテ沖海戦などを敢行したが、戦況を好転できず、20年5月辞任、軍事参議官となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「及川古志郎」の解説

及川古志郎 おいかわ-こしろう

1883-1958 大正-昭和時代前期の軍人
明治16年2月8日生まれ。第一航空戦隊司令官,支那方面艦隊司令長官などをへて,昭和15年第2次近衛内閣の海相となり,三国同盟締結に同意。19年軍令部総長としてマリアナ沖海戦,レイテ島海戦などを指揮した。海軍大将。昭和33年5月9日死去。75歳。岩手県出身。海軍大学校卒。

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367日誕生日大事典 「及川古志郎」の解説

及川 古志郎 (おいかわ こしろう)

生年月日:1883年2月8日
大正時代;昭和時代の海軍軍人。大将
1958年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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