翻訳|destroyer
元来は魚雷を主兵装とし、敵の大艦を襲撃することを任務とした高速水上艦艇(水上戦闘艦艇)。軍艦の一種。今日では、基準(または常備)排水量3000~7000トン、30~37ノットで強力な艦隊防空力、対潜能力および水上打撃力を備え、航洋性の高い高速汎用(はんよう)水上艦艇をさす。魚雷を搭載した水雷艇の脅威に対抗するために建造されたもので、1893年イギリスで試作されたハボックHavock、デアリングDearing(240トン、27ノット)の2艦が最初。当初、水雷艇駆逐艦torpedo boat destroyerと称したが、のちに単に駆逐艦とよばれるようになった。この艦種はその後、自ら魚雷で敵艦を襲撃するようになり、水雷艇にとってかわった。1903年には、イギリスで世界最初の航洋駆逐艦リバー級River Class(約600トン、26ノット)が竣工(しゅんこう)、駆逐艦は艦隊に随伴し洋上作戦を遂行しうる能力を備えるに至った。第一次世界大戦時には、駆逐艦は潜水艦攻撃や船団護衛にも使用され対潜任務にも適していることを立証した。
日本では、日露戦争までに300~400トン前後、29ノット、45センチ魚雷発射管2門装備の艦が多数建造され、戦時には敵主力艦攻撃、敵水雷艇・駆逐艦の撃退・撃滅、哨戒(しょうかい)などに用いられた。1928年(昭和3)に竣工した特型駆逐艦(1680トン、37ノット)は、優れた航洋性と飛躍的に強化された砲雷兵装を有する駆逐艦で、各国の駆逐艦設計上、大きな影響を与えた。第二次世界大戦では、各国で駆逐艦の対空砲熕(ほうこう)兵装の強化が重視され、同時に対潜能力、雷撃能力の向上が図られた。1500~3000トン級の艦が多数建造され、雷撃・砲撃、艦隊・船団護衛、対潜、防空、哨戒、偵察、輸送、上陸戦支援、機雷敷設など広範囲な任務につき、万能艦的な存在となった。また防空駆逐艦、対空哨戒駆逐艦など特定任務に重点を置いた艦も登場、他方、比較的に小型・低速で量産に適し、対潜・対空能力を重視した護衛駆逐艦または簡易型駆逐艦が、イギリス、アメリカ、日本などで多数建造された。
第二次世界大戦後は海戦の様相の変化から、その重要度はかつてほどのものではなくなった。しかし、1960年代初頭に登場した対空ミサイル(SAM)は、艦隊防空能力としての有用性をふたたび駆逐艦にもたらし、1970年代には対艦ミサイル(SSM)が装備されるに至り、強力な水上打撃力をも備えることになった。さらに、艦上へのヘリコプター搭載による能力向上も図られた。1970年代前期には大型全天候対潜航空機の搭載艦も出現し、さらにはその後、対潜・対艦ミサイル防御、対艦ミサイル攻撃目標の捜索、標定などを行う多目的機を搭載し、総合戦力を向上させる努力がはらわれている。以上の諸装備に加えて、電子、通信、戦闘情報処理などの装備の搭載により、駆逐艦は対空、対潜、対水上打撃力をバランスよく備えた汎用高速水上艦になった。1990年代からは広域防空多目標同時対処能力を有するイージス・システム、ステルス設計などの採用により、アメリカのイージス駆逐艦アーレイ・バーク級Arleigh Burke Classのように艦型が約7000トンの大型艦も出現している。雷撃を除き、現在では第二次世界大戦当時とほぼ同様の任務を遂行しているが、アメリカの駆逐艦は空母機動部隊の護衛を、ロシアの駆逐艦は水上戦闘を重視している点に特徴がある。今後は内陸を含めた沿岸への攻撃能力が必要とされ、アメリカが建造中の駆逐艦ズムウォルト級Zmwalt Classはこの能力を備え、満載排水量が1万4000トンを超す大型艦である。駆逐艦の機関は従来は蒸気タービンが使用されていたが、1960年代以降は、ガスタービン機関が単独あるいは他種機関と併用された形で採用され、現代駆逐艦の主流を占めるに至っている。海上自衛隊の護衛艦はこの艦種に相当する。なお、イギリスの最新駆逐艦デアリング級Dearing Class(6400トン、2009年完成)と前記ズムウォルト級は、機関に初めて統合電気推進方式(電気推進方式の一種で、推進器駆動の電動機用だけでなく、艦の所要電力のすべてを同一発電システムで得る)を採用しており、これが今後の大型水上戦闘艦艇に用いられる趨勢(すうせい)にある。
[阿部安雄]
『堀元美著『駆逐艦 その技術的回顧』(1969・原書房)』▽『堀元美著『現代の軍艦』(1970・原書房)』▽『堀元美・江畑謙介著『新・現代の軍艦』(1987・原書房)』▽『『世界の艦船第587号 特集 戦後の駆逐艦』(2001・海人社)』▽『『福井静夫著作集5 日本駆逐艦物語』(2009・光人社)』▽『Stephen SaundersJane's Fighting Ships 2010-2011(2010, Jane's Information Group)』
第2次世界大戦以前は砲,機銃および魚雷を主兵装とし,敵の艦船を攻撃するための1400~2000トン程度の軍艦を呼んだが,現在では3000~8000トン程度の戦闘艦をさす。
駆逐艦の起源は水雷艇に端を発する。魚雷の開発(1866)に伴い,魚雷で敵を攻撃する専用の艦艇の開発が進められた。1870年代後半,イギリスは魚雷発射管を搭載した〈ライトニング〉(長さ25m,幅3.4m,排水量27トン,速力19ノット)を製造し,これを水雷艇と呼んだ。これが各国海軍の注目するところとなり,イギリス,フランス,ドイツで競って建造された。日本には80年に導入され,以来日露戦争までに100隻近くを保有するに至った。水雷艇は艇体が小さいこともあって,波の荒い大海では使用しにくく,おもに沿岸部で敵軍艦の迎撃または奇襲攻撃用に使用された。たとえば日清戦争中,旧日本海軍は威海衛基地での夜襲に使用し,清の北洋艦隊を全滅に至らせるのに効果を発揮した。水雷艇の魚雷攻撃が大型艦にとって脅威となったため,これを撃退するための水雷艇捕獲艦が80年代に建造された。これはやや大きめの水雷艇に速射砲や機関砲を積んだだけのものであったため,しだいに廃れ,代わって90年代の初めには,水雷艇を大型化し速力,砲力も優れ航洋性が増大した水雷艇駆逐艦が出現した。93年イギリス海軍は,小型砲4門と水上および艦首水線部に総計3基の魚雷発射管を装備した〈ハボック〉(長さ約55m,幅5.6m,排水量240トン,速力27ノット)を建造し,新たに駆逐艦という艦種に分類した。
水雷艇に比べ高性能な駆逐艦は,水雷艇に代わる艦艇攻撃用の艦として,20世紀初頭以降各国海軍によって積極的に採用されるようになった。日本では日清戦争以後排水量350トン,速力30ノット以上の駆逐艦十数隻をイギリスに発注するとともに,日露戦争後はこれを模した国産駆逐艦を40隻近く建造した。その後,戦艦,巡洋艦の大型化,高速化に対抗して,駆逐艦も魚雷兵装と備砲力が強化され,さらに航洋性が漸増されていった。第2次大戦時には,駆逐艦は魚雷攻撃に使われたほか,商船団や機動部隊の直衛艦として対潜水艦攻撃や防空に,陸上砲撃に,あるいは兵員,物資の輸送などさまざまな任務に使われた。このため魚雷発射管を減少あるいは全廃し,ソナー(探信儀)など潜水艦探索能力,爆雷など潜水艦攻撃能力を強化したもの,対空兵装を強化したり対空哨戒能力を装備したものが建造あるいは改装によって出現した。戦時中の海戦の様相が,本来の魚雷戦を主体としたものから,しだいに対潜作戦,対空作戦が重視された方向へと変化したこともあって,戦後の駆逐艦は,各国とも対空・対潜・対水上攻撃兵装を搭載した排水量3000トン以上の艦種が多くなり,多目的に使用されるようになった。
近年は技術の進歩と相まって各種ミサイルの装備が図られるとともに,潜水艦探知その他に有効なヘリコプターの搭載が進められており,艦型もしだいに大型化し,装備は高性能化して8000トン前後の駆逐艦が出現してきている。この結果,駆逐艦の性格は本来の水雷艇に端を発した艦種から汎用戦闘艦艇へと変貌してきている。主機は航空機転用型ガスタービンの開発に伴い,これを各種組み合わせた方式の推進機関が多用されるに至った。1980年代前半の代表的な駆逐艦として,ソ連の〈ウダロイ〉型(8500トン)に対応して,西側ではアメリカの〈スプールアンス〉型(満載7810トン)および同型改装の〈キッド〉型(満載8300トン)が挙げられる。
執筆者:佐倉 俊二
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