日本歴史地名大系 「取上村」の解説 取上村とりあげむら 青森県:弘前市取上村[現在地名]弘前市取上・取上一―五丁目・三岳(みたけ)町・北園(きたぞの)一―二丁目・学園(がくえん)町・松原東(まつばらひがし)一―五丁目・松原西(まつばらにし)一―二丁目・清原(きよはら)一―四丁目弘前城下の東南に隣接し、東は小比内(さんぴない)村、東南は大清水(おおしみず)村、南は原ヶ平(はらがたい)村に続く。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「挙(とりあけ)」とある。元和年中御家臣姓名大概(津軽史)の八三騎のなかに「百五拾石 取上村助(介)五郎」とある。正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の平賀(ひらか)郡に村名がみえ、村高四一三・一石、うち田方は三八〇・〇五石。 取上村とりあげむら 新潟県:東蒲原郡三川村取上村[現在地名]三川村上戸谷渡(かみこやど) 取上阿賀野川右岸にあり背後は山地。東は五十島(いがしま)村、西は石戸(いしと)村、阿賀野川を隔てて長谷(ながたに)村。元禄郷帳では二石七斗余。文化年間(一八〇四―一八)の家数は一〇で、小田切日向の開発とある(新編会津風土記)。明治八年(一八七五)の戸数一二・人口五四。元和六年(一六二〇)漆木役として一六本五分とある(津川旧記)。享保六年(一七二一)五十島村入会山訴状(渡部綱男氏蔵)によれば、寛文年間(一六六一―七三)に「五ノ牧・柴牧両山より川北岩之脇、川南ハまぎ沢」に限り入山ができ、一年に銀二〇目を支払うとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by