口之宮神社(読み)くちのみやじんじや

日本歴史地名大系 「口之宮神社」の解説

口之宮神社
くちのみやじんじや

[現在地名]佐倉市大佐倉

将門まさかど鎮座。延享三年(一七四六)の大佐倉村明細帳(宝珠院文書)には口明神とある。祭神は大山咋命で、佐倉藩主堀田正亮の時期の宝暦二年(一七五二)佐倉惣五郎の霊が合祀された(神社明細帳)。佐倉惣五郎は佐倉藩主堀田正信時代の百姓一揆の指導者として処刑されたといわれ、正亮は惣五郎に道閑という法名を与え、春夏二回の祭礼を定めている(「紀氏雑録」など)。天保一四年(一八四三)の宝珠院覚書(宝珠院文書)によると、佐倉藩将門御林内の口明神社地は南北二〇間・東西四三間で土手があり、この社地から将門社・妙見社までの馬場通(南北一〇〇間・東西六間)にも土手があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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