口人村(読み)くちうどむら

日本歴史地名大系 「口人村」の解説

口人村
くちうどむら

[現在地名]園部町口人

明治九年(一八七六)中口人村と下口人村が合併して成立した村。

半田はんだ村の東南、園部川の支流で西流する半田川の上流に位置する。西にあるのが下口人村、東が中口人村である。東は絹掛きぬかけ(口司村)、南は殿谷とのだに村。南と北に丘陵山地があり、半田川の両岸耕地と集落がある。

両村とも亀山藩領。中口人村の村高は、元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳に二三七石余、天保郷帳で二八四石余。下口人村は元禄郷帳に一六三石余、天保郷帳には一九三石余。

下口人の吉備きび、中口人の春日かすが両社は宮のトウ(頭・当)とよぶ頭屋制で祀り、一月七日に交代(トウ渡し)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む