日本歴史地名大系 「古ノ本村」の解説 古ノ本村このもとむら 三重県:北牟婁郡海山町古ノ本村[現在地名]海山町相賀(あいが)銚子(ちようし)川と船津(ふなつ)川は引本(ひきもと)湾に入る際合流するが、この両河川に挟まれた堆積地帯にあり、西は標高六〇七・二メートルの高丸(たかまる)山に連なる。当地一帯は伊勢神宮領木本(このもと)御厨の地で(→木本御厨)、「紀伊続風土記」に「此辺神領なるより、其材を伐出す時、其山口の神、木本の神を祭れる所なるより、木本は其材を出し初むる本の地をいふ」とある。木本御厨の荘司息長氏は後山(うしろやま)に居住して後山氏を名乗ったと思われるが、延元元年(一三三六)一一月三〇日付の宗良親王令旨(「紀伊続風土記」所収荘司文書)に木本源太左衛門尉とあるのは、居を当地に移したからであろう。同じ表記の村が木本(きのもと)郷(現熊野市)にあったため表記を変え、慶長六年(一六〇一)の検地帳(徳川林政史蔵)には「粉本村」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by