精選版 日本国語大辞典 「古城貞吉」の意味・読み・例文・類語 こじょう‐ていきち【古城貞吉】 中国文学者。熊本藩出身。第一高等学校中退。日報社に入り、中国に渡る。帰国後、東洋大学教授となり、各大学の講師を歴任。漢詩文にすぐれ、著に「支那文学史」「廻瀾集」がある。慶応二~昭和二四年(一八六六‐一九四九) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「古城貞吉」の解説 古城 貞吉コジョウ テイキチ 明治〜昭和期の漢学者 生年慶応2年5月10日(1866年) 没年昭和24(1949)年2月15日 出生地肥後国熊本(熊本県) 別名号=担堂 学歴〔年〕第一高等学校中退 経歴明治30年日報社(後の毎日新聞)に入り、上海、北京に転勤、北清事変で日本公使館に篭城、34年帰国。東洋協会殖民専門学校(後の拓殖大)講師、39年東洋大学教授、昭和13年辞任。この間早大、日大、立大、大東文化学院、慶大などで講師、東方文化学院東京研究所研究員、評議員を務めた。著書に「支那文学史」「肥後文献叢書」(全6巻)など。死後熊本県近代文化功労者に推された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「古城貞吉」の解説 古城貞吉 こじょう-ていきち 1866-1949 明治-昭和時代の漢学者。慶応2年5月10日生まれ。一高を中退,独学で漢学をまなぶ。明治30年清(しん)(中国)にわたり,34年帰国。39年からながく東洋大教授をつとめた。30年刊行の「支那文学史」は名著として名だかい。昭和24年2月15日死去。84歳。肥後(熊本県)出身。号は坦堂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by