古奈陣屋跡(読み)こなじんやあと

日本歴史地名大系 「古奈陣屋跡」の解説

古奈陣屋跡
こなじんやあと

[現在地名]伊豆長岡町古奈

相模荻野山中藩の陣屋跡。古奈の長温ちようおん寺下にあったといわれるが、不詳。相模小田原藩主大久保忠朝の次男教寛は同国足柄あしがら郡、駿河駿東すんとう郡・富士郡のうちに一万一千石を領していた(寛政重修諸家譜)。宝永五年(一七〇八)富士山の噴火により相模国と駿東郡に被害があったため、同年には君沢くんたく郡約三千石、同七年田方郡約二千四〇〇石に領知替となった(韮山町史)松長まつなが(現沼津市)に陣屋を置き、伊豆・駿河の支配に当たるが、古奈村にも陣屋を置いて伊豆支配の中心とした。松長陣屋は享保一四年(一七二九)にすでに設置され、当村からの書類の提出先となっていた(「酉年貢目録」石橋家文書など)。古奈村陣屋の設置は同九年とも考えられるが(年欠「古奈陣屋廃止反対願」同文書)、当初は宿泊施設としての機能で、役所として運営されたのは寛政四年(一七九二)からである(「朝鮮人来朝之節高掛覚」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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