改訂新版 世界大百科事典 「大久保氏」の意味・わかりやすい解説
大久保氏 (おおくぼうじ)
江戸時代の譜代大名。はじめ宇都宮氏,のち宇都,宇津と称し,松平氏に仕えた。宇津忠茂の三男忠員(ただかず)の代に大久保と改める。2代忠世が徳川家康の下で武功をあげ,1590年(天正18)北条氏滅亡後小田原城主(4万5000石)となる。3代忠隣(ただちか)(6万5000石)は将軍秀忠の老中となったが1614年(慶長19)改易。その子忠常は武蔵国騎西2万石を領したが早世しており,孫の忠職は蟄居ののち許されて32年(寛永9)美濃国加納城主(5万石)となり,播磨国明石(7万石),肥前国唐津(8万3000石)に転じた。養子忠朝が老中となって下総国佐倉をへて相模国小田原城主(10万3000石,のち11万3000石)に復帰(小田原藩)。その子忠増は襲封の際弟教寛に新墾田6000石,教信に4000石を分知し,のち老中となる。12代忠真は大坂城代,所司代から老中となる。教寛はのち1万6000石に加増され,子孫は愛甲郡中荻野に陣屋を置いた。また,忠世の弟忠為の孫忠高は1万石を与えられ,その子常春のとき,下野烏山城主(2万石,のち3万石)となった。3家とも維新後,子爵。
執筆者:内田 哲夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報