日本歴史地名大系 「古志郡」の解説 古志郡こしぐん 面積:四〇・一二平方キロ山古志(やまこし)村現在は東山(ひがしやま)丘陵の谷間の山古志村のみ。明治一二年(一八七九)の郡区町村編制法施行時の郡域は、新潟平野の南、信濃川右岸地域に位置し、南は北魚沼郡、北は南蒲原(みなみかんばら)郡、西の信濃川対岸は三島(さんとう)郡、東は北魚沼郡・南蒲原郡に接する。同二二年、市制町村制施行以前の町村数は四〇町二三八ヵ村で、その地域はほとんどが現在の長岡市の信濃川右岸、栃尾市全域を占め、周辺の見附市・小千谷(おぢや)市、北魚沼郡および信濃川左岸沿いの三島郡内に若干かかる。古代は越中国に属したが、「続日本紀」大宝二年(七〇二)三月一七日に「分越中国四郡属越後国」と記す越後国に蒲原・魚沼・頸城(くびき)三郡とともに属した。郡名は宝亀一一年(七八〇)一二月二五日の西大寺資財流記帳(国立公文書館蔵)に「高志郡」とみえる。〔古代・中世〕「先代旧事本紀」の「国造本紀」には「高志国造 志賀高穴穂(成務)朝御世、阿閇臣祖屋主田心命三世孫市入命定賜国造」とあり、大化前代に県中央部一帯に本拠を占めた大彦命の子孫と伝える国造にかかわる地域で、海上・陸上交通の目標となった出雲崎(いずもざき)(現三島郡出雲崎町)や寺泊(てらどまり)(現同郡寺泊町)あるいは米(よね)山などを含んでいたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報