古新田(読み)こしんでん

日本歴史地名大系 「古新田」の解説

古新田
こしんでん

[現在地名]岡山市古新田

大福おおふく新田の北に位置し、足守あしもり川とささ川の合流地点の南にあり、これら河川の沖積地にできた新田。享保九年(一七二四)古新田村(吉田文書)によると、庭瀬藩によって元和七年(一六二一)開発着手、寛永三年(一六二六)完成。当初は瀬尾せのお新田村と称されたが、南に大福新田ができてから古新田と称するようになった。完成後、藩主戸川氏は開発に功績のあった吉田甚治(次)郎・吉田藤太夫・吉田忠右衛門・加地甚兵衛・斎藤吉兵衛・斎藤市郎右衛門の六人に割賦した。甚治郎は当村の庄屋役に任ぜられ、他の五人は領主からは「五人百姓」、村人からは「五人衆」とよばれ年寄役を世襲した(古新田村鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の古新田の言及

【検地】より

…ついで寛文の関東総検地,延宝の畿内・近国の幕領検地(寛文・延宝検地),さらに貞享の上野などの検地,元禄の信濃・飛驒などの検地(元禄検地)があり,そのたびに新しい規準が若干ずつ加えられていき,1726年(享保11)には詳細な新田検地条目ヵ条が出された。これより享保以前の検地を古検,以後のそれを新検と称し,元禄以前に検地した耕地を本田畑,元禄以後享保以前に検地した新田を古新田といって,享保以後の新田と区別した。 この検地条目により関東諸国と大和の検地が実施されて以後,幕府の手による大がかりな検地はなかったが,新田の本田への組入れ,隠田の摘発,年貢増徴などのため,享保以後も小規模の検地は幕末にいたるまで各地で実施された。…

【新田】より

…ただし,石盛が低くつけられるなど,あくまで本田畑とは別扱いであり,後年になって両者の差異が事実上なくなっても,土地法制上の区別は形式的に残された。幕府は1726年(享保11)に新田検地条目を制定したが,この条目による享保以降の新田と区別するために,享保以前に成立した新田を古新田と呼ぶことがあった。【安藤 正人】。…

※「古新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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