古沢淑子(読み)フルサワ ヨシコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「古沢淑子」の解説

古沢 淑子
フルサワ ヨシコ


職業
声楽

専門
ソプラノ

肩書
フランス歌曲研究会主宰

本名
倉知 淑子

生年月日
大正5年 6月1日

出生地
旧満州・大連

学歴
パリ音楽院卒

経歴
小学校時代に遠藤郁子に唱歌を学び、その後荻野綾子に声楽を師事。昭和12年渡仏。パリ音楽院声楽科に日本人として初めて合格。フランス近代歌曲と詩の朗読を学ぶ。17年作曲家・倉知緑郎と結婚。19年敵国人として一斉退去させられベルリンに移る。スイスの難民キャンプに入る。戦後、スイス、フランスでリサイタルを開き、多くのラジオ番組に出演。27年帰国し、桐朋学園大学教授、東京芸術大学講師、ヨーロッパ音楽学校教授を歴任。33年オペラ「ペレアスとメリザンド」を日本初演するなど17世紀から現代に及ぶフランス歌曲の紹介者として知られ、この分野における日本で最初の専門家の定評があり、フランス政府からフランス学術文化勲章を授与された。また30年からフランス歌曲研究会を主宰して後進の育成・指導にあたった。晩年は南仏に定住し、古い農家を改造した家に夫と暮らした。伝記に星谷とよみ「夢のあとで―フランス歌曲の珠玉 古沢淑子伝」がある。

受賞
フランス学術文化勲章

没年月日
平成13年 2月16日 (2001年)

家族
夫=倉知 緑郎(作曲家)

伝記
宝物をくれた人たち―第7・ピアノのあいまに夢のあとで―フランス歌曲の珠玉 古沢淑子伝 山田 忍 著星谷 とよみ 著(発行元 たる出版文園社 ’08’93発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「古沢淑子」の解説

古沢 淑子
フルサワ ヨシコ

昭和期の声楽家(ソプラノ) フランス歌曲研究会主宰。



生年
大正5(1916)年6月1日

没年
平成13(2001)年2月16日

出生地
旧満州・大連

本名
倉知 淑子

学歴〔年〕
パリ音楽院卒

主な受賞名〔年〕
フランス学術文化勲章

経歴
小学校時代に遠藤郁子に唱歌を学び、その後荻野綾子に声楽を師事。昭和12年渡仏。パリ音楽院声楽科に日本人として初めて合格。フランス近代歌曲と詩の朗読を学ぶ。17年作曲家・倉知緑郎と結婚。19年敵国人として一斉退去させられベルリンに移る。スイスの難民キャンプに入る。戦後、スイス、フランスでリサイタルを開き、多くのラジオ番組に出演。27年帰国し、桐朋学園大学教授、東京芸術大学講師、ヨーロッパ音楽学校教授を歴任。33年オペラ「ペレアスとメリザンド」を日本初演するなど17世紀から現代に及ぶフランス歌曲の紹介者として知られ、この分野における日本で最初の専門家の定評があり、フランス政府からフランス学術文化勲章を授与された。また30年からフランス歌曲研究会を主宰して後進の育成・指導にあたった。晩年は南仏に定住し、古い農家を改造した家に夫と暮らした。伝記に星谷とよみ「夢のあとで―フランス歌曲の珠玉 古沢淑子伝」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android