古河公方館(読み)こがくぼうやかた

日本の城がわかる事典 「古河公方館」の解説

こがくぼうやかた【古河公方館】

茨城県古河市にあった連郭式の城館。古河城(同市)の本丸の約1km南東の御所沼に突き出した台地の上にある。『鎌倉大草紙』によれば、初代古河公方の足利成氏が1455年(享徳4)の享徳の乱の際に築いたといわれる。成氏は2年間、この館を御所とした後、古河城に移った。1590年(天正18)、最後の古河公方の足利義氏の娘の氏姫は、豊臣秀吉の古河城破却の命令に従い、古河城からこの館に移り、氏姫の孫にあたる尊信が1630年(寛永7)に、下野国(栃木県)の喜連川に移るまでその居館となった。その後、古河公方館は時宗(じしゅう)の十念寺の寺域となった。現在、当時の建築物は残っていないが、堀切と土塁の跡が残っている。館跡の大部分は古河総合公園となっている。JR東北本線(宇都宮線)古賀駅から車で約10分、または徒歩約20分。◇鴻巣御所、鴻巣館とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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