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古河城 こがじょう

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日本の城がわかる事典の解説

こがじょう【古河城】

茨城県古河市の渡良瀬川東岸にあった平山城(ひらやまじろ)。平安時代の末期に、下河辺行平が築いた居館がその起源といわれるが定かではない。南北朝時代、本城は北朝の足利氏の拠点となり、その後、古河公方足利成氏が本拠としたことから、戦国時代は関東の中心の一つとなった。第5代鎌倉公方の足利成氏は関東管領の上杉氏と対立し、1455年(享徳4)に上杉方の今川範忠に鎌倉を占領されたため、古河に本拠を移した。以降の鎌倉公方は古河公方といわれる。以降、1590年(天正18)に北条氏を滅ぼした豊臣秀吉が同城からの立ち退きを命じるまでの約130年間、古河公方家の居城となった。古河公方家はこの城を拠点に、千葉氏、里見氏、武田氏などを味方に、山内上杉氏、扇谷上杉氏と敵対した。その後、小田原の北条氏が台頭する中、その存在感は著しく小さくなっていった。この城の近くにある古河公方館は鎌倉から逃れた成氏が古河城に移るまでの約2年間、居館とした城塞である。1590年(天正18)、秀吉の命令により江戸の地に国替えとなった徳川家康に従って関東に下った小笠原秀政が入城し、古河城の修復・拡張を行った。江戸時代に入ると古河藩の藩庁が置かれた。幕末から明治初年の戊辰戦争では、古河藩は勤王に藩論を統一したため新政府軍の攻撃を免れたが、1873年(明治6)の廃城令により廃城処分となり、建物はすべて破却された。本丸や二の丸など城の中核部は、渡良瀬川に架かる三国橋と新三国橋にはさまれた堤防・河川敷付近にあった。城郭の縄張り明治時代末期に行われた渡良瀬川の改修工事で大半が失われ、一部残された遺構も市街地化により消滅して、現在城の名残はほとんど残されていない。堤防上に本丸跡を示す標柱が建っている。JR東北本線宇都宮線)古河駅から徒歩約10分。◇室町時代に古河公方の居城となっていた時代には古河御所あるいは古河御陣と呼ばれていた。古河公方館も「御所」と呼ばれることがあるが、別の遺構である。

出典|講談社
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世界大百科事典内の古河城の言及

【古河[市]】より

…東京50km圏に位置するため東京への通勤・通学者が多く,住宅地化も進んでいる。【中川 浩一】
[古河城下]
 《万葉集》に載る〈許我の渡〉が地名の初出とされる。鎌倉時代には下河辺荘に属した。…

※「古河城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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