古町通
ふるまちどおり
[現在地名]新潟市古町通一―一二番町
片原通の西側に並行して南北に連なる町。新潟町の家並が最初に立地したところで、当初は白山島という川中の洲島で、島村新潟とよばれたという(新潟市史)。元和三年(一六一七)当町の前面、河畔寄りに新町が建設されるが、その建設覚(新潟町会所文書)には本町と記され、絹布・小物・紙などを商う町屋が並び、新潟の中心街であった。同年、くしや加右衛門ら四名が当町と片原の肝煎に任じられている(同文書)。明暦期(一六五五―五八)の再整備で古町と改称。通りの南部、鍛冶小路までは神明町とよばれ、順次北へ二ノ町から六ノ町まで連なり、広小路の先は鍛冶町、風間小路から御祭堀までが新田町である(慶応二年新潟分間絵図「新潟市史」所載)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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