精選版 日本国語大辞典 「句空」の意味・読み・例文・類語 くくう【句空】 江戸前期の俳人。別号柳陰庵。加賀の人。出家して金沢卯辰山に隠棲し、北越を旅した芭蕉に師事。編著に「北の山」「草庵集」。生没年未詳。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「句空」の解説 句空 生年:生没年不詳 江戸前期の俳人。加賀金沢の人。正徳2(1712)年刊行の『布ゆかた』の序に当時65,6歳とあり,この年以後消息は不明である。元禄1(1688)年41,2歳ごろ京都の知恩院で剃髪して金沢卯辰山の麓に隠棲した。同2年松尾芭蕉が金沢を訪れた際に入門し,同4年には大津の義仲寺に芭蕉を訪ねている。5部の選集を刊行したが,俳壇的野心は全くなかった。芭蕉に対する敬愛の念は深く,宝永1(1704)年に刊行した『ほしあみ』の序文に,芭蕉の夢を見たことを記している。<参考文献>大河良一『加能俳諧史』 (田中善信) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「句空」の解説 句空 くくう ?-? 江戸時代前期-中期の俳人。もと加賀金沢の商人。出家して金沢卯辰(うたつ)山に隠棲(いんせい)。元禄(げんろく)2年庵(いおり)をたずねてきた松尾芭蕉に入門し,加賀蕉門の重鎮となる。句集「布ゆかた」の序によると,正徳(しょうとく)2年(1712)に65か66歳だったという。別号に柳陰軒。編著に「柞原(ははそはら)集」「ほしあみ」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by