右原村
みぎわらむら
[現在地名]小城町大字池上字右原
東に天山から南に延びる舌状台地(鏡山・中尾山)で栗原ヶ里・池上ヶ里と隔たり、西は多久川に接し、村内を唐津往還が通じて多久別府に至る。右原・楮原・鏡籠・弁財籠・下右原の五字からなる。享和元年(一八〇一)写の御領中郡村附では「又云」として「下古賀」「溝田」「道祖下」「加已原」とある。
慶長絵図には郡郷単位で石高が記されているが、右原は村として高六二七石一升と記してある。正保絵図に村名がみえる。小城郡西郷の内にあり、嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳には地米(年貢)三四七石六斗二升五合とある。
右原村
みぎばるむら
[現在地名]神埼町大字鶴字右原
現神埼町のやや北に位置し、村の西を城原川が南流し、この地一帯はその堆積作用で形成された地層をなす。正保絵図に村名がみえる。
天明三年(一七八三)の郷村帳には村の別称として「袴ケ里」と記しているが、建武二年(一三三五)六月日付の東妙・妙法両寺寺領坪付注文写(東妙寺文書)には「一 築地諸太郎隆能息時成、上条郷袴里十三坪四丈」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 