日本歴史地名大系 「右村」の解説 右村みぎむら 石川県:加賀市右村[現在地名]加賀市三木町(みきまち)大聖寺(だいしようじ)川と支流奥谷(おくのや)川の合流地東に位置し、奥谷川上流は橘(たちばな)村。延喜式内社とされる御木(みき)神社が鎮座。ミギはミキの濁ったものといわれ(加賀志徴)、江戸時代にはミギとよんでいた(「大聖寺領高辻帳」加越能文庫)。中世には高山(こうざん)寺(現京都市右京区)領右庄が成立していた。正保郷帳によると高一千三四七石余、田方六八町七反余・畑方一四町八反余、物成高五九一石余。ほかに新田高二一〇石余(物成高五六石余)、田方七町九反余・畑方六町三反余。 右村みぎもみむら 茨城県:土浦市右村[現在地名]土浦市右籾中(なか)村の東に位置する。江戸初期に土浦藩領となり、慶安三年(一六五〇)に朽木稙綱によって地詰検地が実施された(「県方集覧」酒井泉氏蔵)。慶長一六年(一六一一)三月五日の定(酒井和男氏蔵)に「右籾烏山散野之儀、如前々互ニ入籠ニ苅可有候」とあり、烏山(からすやま)村との間に入会地の利用を定めたが、寛永二〇年(一六四三)に「今度右籾村と烏山村野論御座候」(「一札之事」同氏蔵)と紛争が起き、紛争はその後も続いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by