叶堂城跡(読み)かなどじようあと

日本歴史地名大系 「叶堂城跡」の解説

叶堂城跡
かなどじようあと

[現在地名]西淡町松帆古津路 叶堂

三原川河口部北岸にある。城名は「かのど」ともよばれる。当地は三原平野が瀬戸内海に開口する地にあたり、淡路西にし浦の水運要衝であった。文禄四年(一五九五)加藤嘉明の伊予移封後に入封した豊臣氏の代官石川紀伊守・三宅丹波守によって築かれ、石川氏らは志知しち(現三原町)から移ったとされる。しかし存続期間は短く、慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦後には廃城となった(味地草)。その後城跡には元和七年(一六二一)感応かんのう寺が建てられた。

遺構は主郭台地の周囲に石垣が残され、状況からもともとは総石垣の城郭であったと推測される。残された石垣は西辺と南辺に認められ、とくに南辺は高さ七―八メートルに及ぶ高石垣で、隅角部は算木積みとなる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む