朝日日本歴史人物事典 「吉分大魯」の解説
吉分大魯
生年:生年不詳
江戸中期の俳人。別号は馬南,蘆陰舎など。もと今田文左衛門と称する阿波(徳島)藩士であったが,致仕して京都に出て俳諧師となった。大坂勤番中に遊女と駆け落ちをして脱藩したという説もある。与謝蕪村の門人であったが,かどかどしい性格が災いして同門の人々や門人と融和してゆくことができず,そのために不幸な人生を歩んだ。「我にあまる罪や妻子を蚊の喰ふ」という句に,つらい生活を強いた妻子に対する自責の念もうかがえる。享年は49歳か。<参考文献>杉山虹泉『俳人吉分大魯』,潁原退蔵「大魯」(『潁原退蔵著作集』13巻)
(田中善信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報