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吉分大魯 よしわけ たいろ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉分大魯 よしわけ-たいろ

?-1778 江戸時代中期の俳人。
もと阿波(あわ)徳島藩士。京都に出,岡田文誰(ぶんすい),のち与謝蕪村(よさ-ぶそん)に入門,蕉風(しょうふう)復帰運動をになうが蕪村門下とおりあわず,兵庫にうつる。高井几董(きとう)とは生涯交遊し,安永7年11月13日死去。没後几董により「蘆陰句選」があまれた。本姓は今田。名は為虎。通称は文左衛門。別号に馬南,蘆陰舎など。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

吉分大魯

没年:安永7.11.13(1778.12.31)
生年:生年不詳
江戸中期の俳人。別号は馬南,蘆陰舎など。もと今田文左衛門と称する阿波(徳島)藩士であったが,致仕して京都に出て俳諧師となった。大坂勤番中に遊女と駆け落ちをして脱藩したという説もある。与謝蕪村の門人であったが,かどかどしい性格が災いして同門の人々や門人と融和してゆくことができず,そのために不幸な人生を歩んだ。「我にあまる罪や妻子を蚊の喰ふ」という句に,つらい生活を強いた妻子に対する自責の念もうかがえる。享年は49歳か。<参考文献>杉山虹泉『俳人吉分大魯』,潁原退蔵「大魯」(『潁原退蔵著作集』13巻)

(田中善信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の吉分大魯の言及

【大魯】より

…江戸中期の俳人。姓は今田,名は為虎。のち吉分姓。馬南,蘆陰舎とも号する。徳島藩士だったが致仕,1766年(明和3)ごろ上洛して文誰,さらに蕪村に師事し,蕪村の高弟として活躍,73年(安永2)大坂で宗匠となり中興俳諧諸家と交わる。その後事を起こして兵庫に移り,不遇のうちに没した。激しやすい性格で人にいとわれたが,真率純情で,平明直截な詩情ある句を成した。〈海は帆に埋れて春の夕かな〉(《蘆陰句選》)。【田中 道雄】…

※「吉分大魯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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