吉屋潤(読み)ヨシヤ ジュン

20世紀日本人名事典 「吉屋潤」の解説

吉屋 潤
ヨシヤ ジュン

昭和期の作曲家,作詞家



国籍
韓国

生年
1927年

没年
1995年3月17日

出生地
寧辺(現・北朝鮮)

本名
崔 宗洙(チェ ジョンス)

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞(日本作曲家協会特別功労賞 第37回)〔平成7年〕

経歴
歯科医を目指し、17歳でソウルへ出るが、ジャズに夢中になり、大学を卒業した翌年の1950年ジャズの勉強のため来日。サクソフォンを練習し、2年後にバンドを結成。クラブで演奏するうちにサックス奏者として名前が売れる。’66年ソウルに戻った際に韓国の歌手パティ・キムと知り合い結婚。’68年生まれた長女にささげた曲「1990年」を夫婦でデュエットし、韓国で大ヒット。その5年後に離婚し、それを機に作った「離別」もパティによってヒットとなる。’88年にはソウル五輪の音楽監督を務めた。同年再婚した妻と嫁とともに来日。’89年「1990年」のレコードを日本で発売、パティ・キム、水野浩二、菅原洋一、伊東ゆかりとの競作発売となり話題になる。’92年太平洋のマーシャル諸島共和国国歌を作曲。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉屋潤」の解説

吉屋潤 キル-オギュン

1927-1995 韓国の作曲家。
昭和25年(1950)来日し,ジャズサックス奏者として活躍。1966年韓国にもどり,「ソウル讃歌」「1990年」「離別」などを作曲,ヒットさせる。ソウル五輪の音楽監督をつとめた。日本でも吉屋潤(よしや-じゅん)の名で活動し,平成7年日本レコード大賞作曲家協会特別功労賞。1995年3月17日死去。69歳。平安北道寧辺出身。京城歯科専門大卒。本名は崔致禎(チエ-チジヨン)。

吉屋潤 よしや-じゅん

キル-オギュン

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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