デジタル大辞泉 「国歌」の意味・読み・例文・類語
こっ‐か〔コク‐〕【国歌】
2 和歌。「
国家がその象徴として法制的にあるいは非公式に定めている楽曲。日本語の国歌は,英語のnational anthem,フランス語のhymne(あるいはchant)national,ドイツ語のNationalhymneと同じく,国民の歌を意味してはいるが,歌詞のない器楽のみの国歌もある。国歌は19世紀以降の近代国家の成立に伴い,国際的行事における使用の要請から作られたものがほとんどである。したがって,国歌の第1の機能は,他国に対して自国の独立性を示すことであり,第2の機能は一つの国の内部的結束を強化することである。
まず,第1の機能は,二つ以上の国にかかわる行事,たとえば,元首や艦隊の訪問の際の儀礼的な国歌演奏によく表れている。その演奏に際して,会合の参加者の聴衆の起立や脱帽などが国際的に要求されるのも,国家の音楽的象徴という国歌の第1の機能のためである。また,国歌は視覚的象徴の国旗と似て,ある国家が他の国家を占領したり支配したりする場合に,抑圧される側の国歌の使用が制限または禁止されることがある。一つの国の内部でも,政体の変化が国歌に変化をもたらすことがある。フランス革命と結びついた《ラ・マルセイエーズ》がナポレオン3世の第二帝政時代に,皇帝の母によって作曲されたといわれる《シリアに向けて出発しよう》に替えられた。ソ連も革命後は,帝政時代の国歌を捨てたのはいうまでもない。ハイドン作曲で有名な《神よわれらの皇帝を守りたまえ》も,政体の変化を受けている。これは1919年までがオーストリア国歌として使われ,22年からは歌詞が《世界に冠たるドイツ》に変えられてドイツ国歌となり,ナチスによるオーストリアの合併後はオーストリアでも歌われ,第2次大戦後は,歌詞を再び変えて西ドイツでのみ使われた。このように,政体の変化は歌詞だけに影響を与える場合もあり,まれには,歌詞なしの器楽として古い旋律を残すこともある。
国歌の第2の機能である国内的結束の強化は,国家的行事,公共団体や学校などの行事,スポーツや芸能の集まりにおいて,参加者に演奏を聞かせたり,歌わせたりすることによって達成されている。国際的な性格をもたない音楽会やスポーツ,あるいは放送において,その開始または終了に際して国歌を用いるのも,第2の機能に関係している。しかし,この機能も,一つの国の中に複数の民族がいたり,複数の言語が使用されている場合は,遂行が容易ではない。スイスを例にとれば,同一の旋律に対して,同国で使用されている五つの言語によって別々の歌詞がつけられている。また,スイスでは州の独立性が強いため,半数の州が国歌として認定しようとしたものについて,他の半数が反対または採用の延期を提案したため,いまだスイスとしては制定された国歌をもっていないことになる。なお,歌詞の言語を複数にしている国としては,ほかにもベルギー(フランス語,フラマン語),セーシェル(英語,フランス語,クレオール語)などの例がある。また,あまりにも多くの言語が使用されている場合は,国歌の歌詞は公用語としてのヨーロッパ語で記されることが多い。このような状況でフランス語の国歌をもつ国には,ブルキナファソ,コートジボアール,コンゴ民主共和国,中央アフリカ共和国などがあり,英語の国歌をもつものとして,ザンビアやナイジェリアがあげられる。
一方,国としては正式に定められた国歌があっても,一つの地方に独自の歌を国歌に準ずるものとして使用することにより,その地方の固有性なり独立性を示す場合もある。バスク地方(《ゲルニカの木》),スペインにおけるカタルニャ,グレート・ブリテン・アンド・ノーザン・アイルランド連合王国(イギリス)におけるウェールズ,カナダにおけるケベック州などでは,この傾向が顕著である。ケベック州の場合,アイスホッケーやサッカーでの対米競技の場合,アメリカ国歌に対しては,フランス語による《おお,カナダO Canada》が《God save the Queen》に代わって用いられることが多い。
次に音楽的な面から国歌をみると,まず,器楽と声楽に大別される。器楽としての国歌を採用しているのは,ナウルを別にすれば,アラブ首長国連邦,イラク,カタル,クウェート,モーリタニア,バーレーンなどで,イスラム国である。しかし,音楽構造的には,中東の伝統とは関係なく,西洋的ファンファーレの性格が目だっている。なお,上述したように,政治上の理由から既存の歌詞を歌わず,ある時期だけ器楽として使う場合もまれにはある。
声楽の方は,それぞれの歌が成立した年代を反映して,古い賛歌風のもの,19世紀風,民族音楽風などに大別されよう。最も古いと考えられているのは,オランダの《ウィルヘルムス・ファン・ナッソーウェWilhelmus van Nassouwe》(16世紀)で,モーツァルトもこれを主題にピアノ変奏曲(K.25)を作っている。イギリスの《God save the King(Queen)(神よ(女)王を守らせたまえ)》は,すでに18世紀中ごろには出版も演奏もされており,国歌のモデルとしてヨーロッパ大陸に知られ,賛歌風の様式を定着させた。この旋律はある時期には大陸の多くの国で歌詞を替えて,国歌または準国歌として使用された。現在でもリヒテンシュタインは,ドイツ語の歌詞(翻訳ではない)をつけて,この旋律を国歌としている。一方,19世紀風の国歌は,アルゼンチン,エルサルバドル,メキシコ,ブラジルなどの中南米諸国に多く,アリア的な節回しすらもっている。20世紀になって国歌を制定したアジアやアフリカの諸国は,ファンファーレの特徴や,フランス国歌《ラ・マルセイエーズ》に代表される行進曲の特徴を組みこんでいる。民族的な音楽の特徴を使ったものは,むしろ例外に属するが,例としては,R.タゴールの作詞・作曲によるインド,バングラデシュ,ブータンの国歌,日本の《君が代》などがあげられる。
なお,《インターナショナル》すなわち〈国際社会主義労働運動歌〉(E.ポティエ作詞,P. ドジェーテル作曲)は,狭義の国歌ではないが,ソ連やユーゴスラビアなどで一時期は国歌の代りに使われた。
国歌は国や民族の聴覚的な象徴であるから,音楽作品において国を表示するために国歌を引用することがある。よく知られた例には,シューマンの《二人の擲弾(てきだん)兵》(フランス国歌),チャイコフスキーの序曲《1812年》(ロシア,フランス国歌),瀬戸口藤吉の《軍艦行進曲》(君が代)などがある。数多くの国歌を引用・変形した作品は,シュトックハウゼンの《賛歌(国歌)Hymnen》である。
執筆者:徳丸 吉彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
国家を象徴する歌曲または器楽曲。近代的な「国家」の概念が形成され建設が進むにつれて、国家に対する帰属心や愛国心を助長する方策が必要となり、モットー(スローガン)、旗、紋章、花、鳥などと並んで、歌が公式に制定されたり、非公式ではあっても慣例的に人民の間に広まったりしてきた。国歌の内容や性格は、国家体制の変遷を反映している。すなわち、王制国家の場合には君主とその治世をたたえ、共和制国家では人民の団結や自由を歌い上げる。使用言語は、当該母国語の場合が多いのは自明の理であるが、現実には多言語国家や旧植民地国家においては国民全員を満足させることができない悩みがみてとれる。たとえば、スイスでは同一旋律に五つの言語による歌詞が施されているし、700余りの言語集団を有する新興国パプア・ニューギニアでは公用語の英語によっている。また、スペイン、モロッコ、ギニア、クウェートなどの国歌のように、(公認された)歌詞をもたないものもある。
音楽的には、土地の民謡に基づいている場合ですら、西洋的平均律にあわせた旋律を使っているのがほとんどである。これは、近代的国家形成そのものが西ヨーロッパに端を発していることにも関係している。曲調としては、威厳に満ちた賛歌風のもの、軽やかな行進曲風のもの、高らかに鳴り響くファンファーレ風のもの、民俗素材からの借用によるものなどに分類できる。
国歌は、国威を示したり、民族的アイデンティティを象徴するものとして、国際的な雰囲気の場や、一国内でも多数の国民が集合する場などで歌われ演奏される。たとえば、元首が臨席する行事、オリンピックなどのスポーツ大会、劇場や放送の特定時間などである。そして、そのような場では、起立、脱帽などの儀礼的所作が参会者に要請される。
日本の国歌『君が代』は、第二次世界大戦後の新憲法の精神に即していないという理由で論議されてきた。現在これにかわる歌はなく、1999年(平成11)に「国旗及び国歌に関する法律」(国旗・国歌法、平成11年法律第127号)が制定されると、論議はますます盛んになった。従来、歌詞を参会者が斉唱するよりも器楽演奏されることが多かったが、この傾向は簡単には変わらないだろう。
[山口 修]
『高田三九三編著『世界の国歌全集』(1977・共同音楽出版社)』▽『山部芳秀著『Q&A「日の丸・君が代」の基礎知識』(1999・明石書店)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
国家および国民の象徴として演奏される曲。国家的祭典や国際的行事に用いられる。日本では,1882年(明治15)1月文部卿が音楽取調掛に国歌選定を命じたが,結論は得られなかった。これに先立つ80年11月,林広守作曲,エッケルト編曲の「君が代」が作られた。これが現行の「君が代」で,85年制定「陸海軍喇叭(ラッパ)吹奏歌」の第1号と定められ,88年には吹奏楽譜が海軍省から諸外国へ「大日本礼式」として送付された。文部省でも93年8月,小学校の祝日大祭日唱歌の一つとして告示した。1890年代には「君が代」を国歌とみなす主張が現れ,日中戦争の始まる昭和初期には国歌と同一視されるようになった。1999年(平成11)国旗・国歌法の成立により法制化された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…19世紀末以降,事実上,日本の国歌として扱われてきた天皇の治世を奉祝する歌。歌詞は《古今和歌集》に由来するが,その初句は〈我が君は〉であり,〈君が代は〉となったのは,《和漢朗詠集》の一写本に始まるといわれる。…
※「国歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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