吉松保(読み)よしまつほ

日本歴史地名大系 「吉松保」の解説

吉松保
よしまつほ

旧中島郡内の国衙領蓮華王れんげおう院領海東中庄内(妙興寺文書)。現稲沢市南部・海部あま美和みわ町北部辺りか。妙興寺文書の年不詳の吉松保下地中分地頭方坪付注文に、ななつ(現七ッ寺長福寺)古道ふるみち(現海部郡美和町古道)・稲代里・島北・崎・松崎・竹後・針カリ・妙見前などが、当保域の地名としてみえ、また長福寺・浄土寺があった。鎌倉後期より史料にみえ、嘉暦三年(一三二八)沙弥帰覚が当保内散在田畑等を子息土与若丸に譲与し、「於領家年貢・関東御公事等、任惣領支配旨、無懈怠可有其沙汰」として、幕府の外題安堵を受けている(「沙弥帰覚譲状」妙興寺文書)

南北朝初期には荒尾氏が地頭職をもち、のち妙興みようこう(現一宮市)にこれを寄進した。惣田数二二町五反余であり、その三分の一が庶子分として平尾常陸孫太郎が知行し、残り一五町二反三〇〇歩が惣領分であった(吉松保下地中分地頭方坪付注文)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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