出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は長島山。正式には妙興報恩禅寺。初めは報恩寺と称した。1348年(正平3・貞和4)円通大応国師南浦紹明(なんぽしようみよう)の法嗣(はつす)滅宗宗興(めつしゆうそうこう)が,荒尾郷の領主荒尾宗顕を檀越(だんおつ)として創建にかかり,65年(正平20・貞治4)完成し,南浦紹明を勧請開山とした。その前年足利義詮の御教書により,諸山位に列せられ,同時に十方住持制を採用することになったが,実質的には大応派が住持を占めた。足利将軍家の祈願寺,後光厳天皇の勅願寺になるなど,尾張地方の中心的な禅刹であった。その後幾多の消長を経て,とくに1890年の火災,翌年の濃尾地震により大きな被害を受けたが,1916年再興された。専門道場をもち,また創建当初の唯一の遺構である勅使門をはじめ,木造大応国師座像,紙本著色足利義教画像などが重要文化財に指定され,地方寺院としては豊富な文化財を残す。
執筆者:藤岡 大拙
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愛知県一宮(いちのみや)市大和(やまと)町妙興寺にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。長島山と号し、正しくは妙興報恩禅寺という。1348年(正平3・貞和4)滅宗宗興(めつしゅうそうこう)の創建。後光厳(ごこうごん)天皇の勅願寺となって七堂伽藍(がらん)が完成。足利(あしかが)家歴代の帰依(きえ)を受け尾張(おわり)一国の中心的禅刹(ぜんさつ)となった。現在、妙心寺派専門道場となっている。多くの文化財があり、1366年(正平21・貞治5)建立の勅使門、絹本着色仏涅槃(ねはん)図、紙本着色足利義教(よしのり)像、絹本墨画白衣観音(びゃくえかんのん)図、絹本着色十六羅漢像、木造大応国師坐像(ざぞう)(開山堂)などは国重要文化財、鐘楼などが県文化財に指定されている。
[菅沼 晃]
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