吉永北方村(読み)よしながきたがたむら

日本歴史地名大系 「吉永北方村」の解説

吉永北方村
よしながきたがたむら

[現在地名]吉永町岩崎いわさき

三股みつまた村・吉永中よしながなか村の北、八塔寺はつとうじ川の谷間に開けた小盆地にある。西は吉田よしだ村の枝村かせぎ(現和気町)。慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に吉永内として北方村とみえ、物成二四石余、夫米六石余。寛永五年(一六二八)検地帳(県青少年教育センター閑谷学校蔵)によれば、田二一六石余・一二町九反余、畑三三石余・二町六反余。寛永備前国絵図では高二三〇石余。なお元禄(一六八八―一七〇四)初年に北方村から吉永北方村に村名替えがなされたと考えられる。「備陽記」では田畑一七町九反余、家数四九・人数二三一。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば、直高三二六石余で蔵入。二口高二六四石余・残高二六三石余、反別田一三町六反余・畑四町二反余、家数四九、うち新田六。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android