吉用寿栄(読み)ヨシモチ スエ

20世紀日本人名事典 「吉用寿栄」の解説

吉用 寿栄
ヨシモチ スエ

明治〜昭和期の教育者 柳ケ浦高等女学校長。



生年
明治13(1880)年11月29日

没年
昭和34(1959)年9月17日

出生地
大分県宇佐郡南毛村(現・安心院町)

学歴〔年〕
東京裁縫女学校卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章

経歴
大分裁縫学校に学び、同校長の岩田英子に勧められて東京裁縫女学院に進学。同卒業後に帰郷し、中津裁縫女学校に勤務した。その間、吉用喜太郎と結婚するが、半年で死別したため、一生を女子教育に捧げる決心をした。43年宇佐郡柳ケ浦に裁縫学校を開校初年度の生徒は15人であったが、徐々に入学希望者が増え、それに伴って校舎を増改築し、大正13年には柳ケ浦女子高等技芸学校に改称した。次いで、昭和16年に柳ケ浦高等女学校となるが、戦災で校舎が焼失戦後、柳ケ浦高校として学校を再建。生涯を通じて多くの教員を育て、長年に渡る教育活動の業績から、藍綬褒章をはじめ40余の表彰を受けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉用寿栄」の解説

吉用寿栄 よしもち-すえ

1880-1959 明治-昭和時代の教育者。
明治13年11月29日生まれ。43年大分県宇佐に柳ケ浦裁縫女学校を設立,昭和16年柳ケ浦高女(現柳ケ浦高)と改称。おおくの卒業生が教員として活躍した。昭和34年9月17日死去。78歳。大分県出身。東京裁縫女学校(現東京家政大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android