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吉田兼俱 よしだかねとも

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世界大百科事典 第2版の解説

よしだかねとも【吉田兼俱】

1435‐1511(永享7‐永正8)
室町後期の神官。卜部兼俱とも称する。本名兼敏。1472年(文明4)従三位・神祇権大副,89年(延徳1)中納言,93年(明応2)神祇大副・弾正大弼となる。吉田社神官の家に生まれ,中世以来の家学である神道説を大成してこれに新風を吹き込んだ。77年,京都の七口において庶人より万雑一芸一役と称する課役を徴収し,神祇斎場の費にあてようとして果たさなかったが,84年には神楽岡かぐらおか)に斎場所大元宮を造営,89年には伊勢神宮の神器が斎場所に降ったと称して朝廷に奏し,荒木田守朝ら伊勢神官や三条西実隆らの公卿はその虚構を弾劾した。

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世界大百科事典内の吉田兼俱の言及

【延喜式神名帳頭註】より

…1503年(文亀3)吉田兼俱(かねとも)により著された〈延喜式神名帳〉についての注釈書。〈延喜式神名帳〉とは,927年(延長5)完成した《延喜式》巻九,十のことで,律令体制下,神祇官また諸国国司のまつるべき3132座の神社名を記した巻である。…

【白川家】より

…花山天皇より出た源氏。代々神祇伯(神祇官の長官)に任ぜられて明治維新に及んだので,伯家ともいう。また神祇伯に任ぜられると某王と称することを許され,その女は女王と称した特異な家である。伯家が王を称することを許された理由は,朝儀において王を称するものが必要であったからである。たとえば,天皇の伊勢神宮への奉幣は王が使者となり,天皇即位礼のとき,高御座(たかみくら)の御帳を褰(かか)げる2人の女性のうち,1人は女王であることなどがそれである。…

【神道大意】より

…室町時代の吉田神道の書。吉田兼俱(かねとも)(1435‐1511)の著。唯一宗源神道(吉田神道)の大成者兼俱はその神学確立のために,祖先の名に託し《唯一神道名法要集》(托卜部兼延),《唯一神道大意》(托卜部兼直)などを記しているが,それらとともに彼の神学・思想をみる上の重要書。…

【神道伝授】より

…中世以降の両部神道,吉田神道などで行われた。とくに吉田神道(唯一宗源神道)を創唱した吉田兼俱は,自己の神道説を秘伝化し,その人の器量,志向の浅深によって秘伝を4重分と,その上に相承分4位の,あわせて8段階に分け伝授した。初重,2重は白紙,3重,4重は水雲紙に書き,切紙を伝授した。…

【本地垂迹】より

…伊勢神道は密教の胎蔵・金剛両曼荼羅を中心とする二元観をもって内宮・外宮の関係を説き,《神道五部書》をつくり,密教のみならず道教,陰陽道などさまざまの思想を混合して伊勢信仰の権威づけと神秘化をはかり神本仏迹説の奥儀を示した。やがて室町期,吉田兼俱が出て仏法は万法の花実,儒教は万法の枝葉,神道は万法の根本とする三教枝葉花実説をとなえ,陰陽道や道家思想をもって神祇の分類と体系化をはかった。それが《唯一神道名法要集》なる著作に結集され,ここに神本神迹説ともいうべき立場が成立し,本地垂迹説の時代は終わった。…

【吉田神道】より

…室町時代後期に京都の吉田神社の神官吉田兼俱(かねとも)がおこした神道の一流派。兼俱自身は,元本宗源(げんぽんそうげん)神道,唯一宗源神道,唯一神道などと称したが,一般には吉田神道,卜部(うらべ)神道と呼ばれる。…

※「吉田兼俱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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