20世紀日本人名事典 「吉田寸草」の解説
吉田 寸草
ヨシダ スンソウ
大正・昭和期の俳人,漢文学者 岡山大学講師。
- 生年
- 明治15(1882)年1月30日
- 没年
- 昭和40(1965)年3月28日
- 出生地
- 岡山県上道郡政津村(現・岡山市)
- 本名
- 吉田 貞一
- 別名
- 別号=寸草亭丁乙
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学卒
- 経歴
- 明治42年に第六高等学校講師となり、次いで大正8年同教授に就任。この間、同校の教官で組織された俳句会「六六会」に入り、俳人・国文学者の志田素琴に指導を受けたほか、大須賀乙字にも学んだ。はじめは俳句雑誌「懸葵」に属したが、のち素琴が創刊した「東炎」に移り、その主要同人として活躍。また西村燕々の「唐辛子」では課題句選を担当した。戦後は岡山大学で講師をしながら句作を続け、内藤吐天が主宰する「早蕨」に拠ったほか、「光芒」などの選者を務めた。句集に「東薇」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報