20世紀日本人名事典 「吉田源応」の解説 吉田 源応ヨシダ ゲンオウ 明治〜昭和期の僧侶,社会事業家 天台座主;四天王寺管主。 生年嘉永2年6月10日(1849年) 没年昭和2(1927)年7月25日 出生地尾張国東春日井郡春日村(愛知県) 経歴12歳の時、尾張密院住職・円龍僧正の下で得度し天台宗の僧となる。明治30年大僧正に進み、36年天台座主。37年退くが、大正7年再び座主に就任、四天王寺住職を兼ねた。のち延暦寺管主及び四天王寺管主となり、天王寺の大梵鐘を作った。また天王寺女学校を経営し、同高等女学校の設立にも尽力した。一方、免囚保護事業に尽くし、大阪仏教和衷会会長を務めるなど、社会事業にも貢献するところが多かった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉田源応」の解説 吉田源応 よしだ-げんおう 1849-1927 明治-昭和時代前期の僧。嘉永(かえい)2年6月10日生まれ。天台宗。12歳で得度し,明治36年天台座主(ざす)となる。翌年しりぞくが,大正7年ふたたび座主に就任,四天王寺住職をかねた。天王寺高等女学校の設立につくす。昭和2年7月25日死去。79歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by