天台座主(読み)テンダイザス

デジタル大辞泉 「天台座主」の意味・読み・例文・類語

てんだい‐ざす【天台座主】

天台宗の首長。比叡山延暦寺最高位僧職

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「天台座主」の意味・読み・例文・類語

てんだい‐ざす【天台座主】

  1. 〘 名詞 〙 天台宗比叡山延暦寺の住持で、一門を総監する職。天長元年(八二四義真が初めて任ぜられ、明治四年(一八七一)まで続いた。現在は天台宗管長の特称。山の座主。天台の座主。
    1. [初出の実例]「補天台座主官牒」(出典朝野群載‐一六・仁寿四年(854)四月三日)
    2. 「あはれ天台座主、戒和尚の一やとこそみえたまひけれ」(出典:大鏡(12C前)五)

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「天台座主」の意味・わかりやすい解説

天台座主
てんだいざす

天台宗を統轄する延暦寺の住職最澄の弟子の義真(ぎしん)が824年(天長1)に任じられたのが1世で、4世安恵(あんえ)の866年(貞観8)に、止観(しかん)・真言(天台教学と密教)の両者に通じていることが資格とされた。延暦寺印を預かり、比叡山諸院を掌握し、授戒(じゅかい)・灌頂(かんじょう)・法華会(ほっけえ)などを主催した。寺門派(じもんは)の僧も任じられたが、989年(永祚1)の余慶(よけい)からは短期間で辞任するようになり、1190年(建久1)の公顕(こうけん)を最後に途絶えた。平安末期からは摂関の子や法親王(ほっしんのう)が天台座主に就任し、青蓮院(しょうれんいん)など山下の房に住むようになり、補佐役の執当(しっとう)や修理別当(しゅりべっとう)が山上で活動した。慈円や尊円法親王のように4度も天台座主に任じられた例や、義円(足利義教(あしかがよしのり))のように還俗して将軍になった例もある。織田信長の比叡山焼討ちで一時途絶えたが復活し、江戸時代には寛永寺の輪王寺門跡(りんのうじもんぜき)が天台座主を兼ねることもあった。1871年(明治4)に天台宗管長と改称したが、1884年に復活し、2016年(平成28)時点で257世を数える。

[岡野浩二 2016年1月19日]

『渋谷慈鎧編『校訂増補 天台座主記』(1999・第一書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「天台座主」の意味・わかりやすい解説

天台座主【てんだいざす】

天台宗貫首管主)で比叡山延暦寺の住持。山の座主ともいう。854年第3代円仁(えんにん)が太政官符(だいじょうかんぷ)により補任されてから,正式な職名となった。平安後期以降,皇族公家子弟が多く補せられ,近世は皇族門跡(もんぜき)からのみ選ばれた。1871年廃止され,現在は私称として用いられている。→天台座主記
→関連項目山門派・寺門派

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「天台座主」の意味・わかりやすい解説

天台座主 (てんだいざす)

天台宗の貫首(管主)で,同時に比叡山延暦寺一山の住職でもあり,山の座主ともいう。824年(天長1)義真が第1代となり,第3代円仁から太政官符をもって補せられ,円仁と第5代円珍は最澄とともに大師号を受けた。第18代良源は叡山を中興し,第19代尋禅より公家貴族の子弟が多く選ばれた。第49代に皇族として初めて堀川天皇皇子最雲法親王が補せられ,以後はおおむね梨本・青蓮・妙法3院門跡から,近世は輪王寺門跡を含めてそれらの皇族門跡(門跡)からのみ選ばれた。1871年(明治4)廃止,84年天台宗管長の特称として継続することを許された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「天台座主」の解説

天台座主
てんだいざす

天台宗比叡山延暦寺の住職で同宗を統轄する最高の役職。854年(斉衡元)4代円仁(えんにん)がはじめて勅により任じられたが,さかのぼって同寺2代の義真(ぎしん)を初世,円澄(えんちょう)を2世に数え円仁を3世とする。のちには梶井(三千院)・青蓮院・妙法院の三門跡から選出され勅により任じられたが,1871年(明治4)に廃止され,84年私称を許され現在に至る。歴代の天台座主の略歴を記したものに「天台座主記」がある。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「天台座主」の解説

天台座主
てんだいざす

比叡山延暦寺の僧職で,天台宗一門を統轄する最高職
824年就任した初代座主義真に始まる。以後天台宗の高僧を官符で補する慣例が,1871(明治4)年に廃止されるまで続いた。現在は私称として用いられている。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android