天台宗を統轄する延暦寺の住職。最澄の弟子の義真(ぎしん)が824年(天長1)に任じられたのが1世で、4世安恵(あんえ)の866年(貞観8)に、止観(しかん)・真言(天台教学と密教)の両者に通じていることが資格とされた。延暦寺印を預かり、比叡山諸院を掌握し、授戒(じゅかい)・灌頂(かんじょう)・法華会(ほっけえ)などを主催した。寺門派(じもんは)の僧も任じられたが、989年(永祚1)の余慶(よけい)からは短期間で辞任するようになり、1190年(建久1)の公顕(こうけん)を最後に途絶えた。平安末期からは摂関の子や法親王(ほっしんのう)が天台座主に就任し、青蓮院(しょうれんいん)など山下の房に住むようになり、補佐役の執当(しっとう)や修理別当(しゅりべっとう)が山上で活動した。慈円や尊円法親王のように4度も天台座主に任じられた例や、義円(足利義教(あしかがよしのり))のように還俗して将軍になった例もある。織田信長の比叡山焼討ちで一時途絶えたが復活し、江戸時代には寛永寺の輪王寺門跡(りんのうじもんぜき)が天台座主を兼ねることもあった。1871年(明治4)に天台宗管長と改称したが、1884年に復活し、2016年(平成28)時点で257世を数える。
[岡野浩二 2016年1月19日]
『渋谷慈鎧編『校訂増補 天台座主記』(1999・第一書房)』
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天台宗の貫首(管主)で,同時に比叡山延暦寺一山の住職でもあり,山の座主ともいう。824年(天長1)義真が第1代となり,第3代円仁から太政官符をもって補せられ,円仁と第5代円珍は最澄とともに大師号を受けた。第18代良源は叡山を中興し,第19代尋禅より公家貴族の子弟が多く選ばれた。第49代に皇族として初めて堀川天皇皇子最雲法親王が補せられ,以後はおおむね梨本・青蓮・妙法3院門跡から,近世は輪王寺門跡を含めてそれらの皇族門跡(門跡)からのみ選ばれた。1871年(明治4)廃止,84年天台宗管長の特称として継続することを許された。
執筆者:村山 修一
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天台宗比叡山延暦寺の住職で同宗を統轄する最高の役職。854年(斉衡元)4代円仁(えんにん)がはじめて勅により任じられたが,さかのぼって同寺2代の義真(ぎしん)を初世,円澄(えんちょう)を2世に数え円仁を3世とする。のちには梶井(三千院)・青蓮院・妙法院の三門跡から選出され勅により任じられたが,1871年(明治4)に廃止され,84年私称を許され現在に至る。歴代の天台座主の略歴を記したものに「天台座主記」がある。
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