同楽苑跡(読み)どーらくえんあと

日本歴史地名大系 「同楽苑跡」の解説

同楽苑跡
どーらくえんあと

[現在地名]那覇市首里久場川町二丁目

王府時代の王家の別邸。久場川御殿(クバガーヌウドゥン)ともいう。現在の久場川くばがわ団地内、久場川保育所から久場川くばがー坂とよばれる坂を上った辺りにあった。尚純が世子の時に創建したという(琉球国旧記)春夏秋冬の時節ごとに民と楽しみを同じくしたいということで命名されたという。

「琉球国旧記」は尚純がよく同苑で遊んだとし、彼の講解師で親交の深かった蔡文溥も同苑を題材に詩を詠んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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