日本歴史地名大系 「名嘉真村」の解説 名嘉真村なかまむら 沖縄県:沖縄島北部恩納村名嘉真村[現在地名]恩納村名嘉真(なかま)恩納(うんな)間切の北東部に位置し、西は安富祖(あふす)村。南から北へ名嘉真(なかま)川が曲流し、東シナ海に注ぎ、河口に名嘉真(なかま)港がある。所属間切の変遷は恩納(うんな)村に同じ。絵図郷村帳では金武(ちん)間切のうちに中間村とみえる。琉球国高究帳でも金武間切に中間村とみえ、高頭一六四石余、うち田一五七石余・畠七石余。「琉球国由来記」には恩納間切に名嘉真村とみえ、拝所はトマリガシラ嶽・カワイフ嶽・マナツジ嶽・名嘉真巫火神・神アシアゲの五ヵ所があり、名嘉真ノロが管轄していた。「恩納村誌」によれば、古島はカワイフ嶽下の低地大島にあったが、人口増加に伴いトマリガシラ嶽下の新島に移り、その後浜地に広がったという。 名嘉真村なかまむら 沖縄県:沖縄島南部糸満市名嘉真村[現在地名]糸満市真壁(まかべ)位置は不明。のちに真壁(まかび)村の一部になったと思われる。絵図郷村帳に島尻間加比(しまじりまかび)間切「中間村」とあり、享保二一年(一七三六)には「当時無之」であった。「琉球国由来記」には真壁(まかび)間切名嘉真村とみえる。同書によると名嘉真ノロの崇所として当村の山川森・神謝名ノ嶽・外間ノ嶽があり、年中祭祀として右三ヵ所の嶽々で三、八月に四度御物参の祈願、名嘉真巫火神で麦稲穂三日崇、佐久真之殿・神アシアゲ・外間之殿・宮城之殿で麦稲四祭が行われた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報