名護浦
なごうら
下知識村の北西部に位置した浦で出水一〇ヵ浦の一つ。米ノ津川の河口を占め、下鯖淵村の米ノ津湊と相対していた。江戸時代には二四家部(戸)があり、出水麓から郷士が別当として来ていた(出水の歴史と物語)。文化三年(一八〇六)改の諸浦御奉公並万上納物定(列朝制度)では浦男女五九三人、浦水手役三八人立、雇水手役三五人立で、魚運上銀は荘町に入れていた。対岸の米ノ津湊が商港であったのに対して当浦は漁港としての性格が強かった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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