日本歴史地名大系 「名鰭沼」の解説 名鰭沼なびれぬま 宮城県:遠田郡南郷町名鰭沼涌谷(わくや)町と南郷町にまたがっていた沼で、現在は昭和四〇年(一九六五)に着工した県営の名鰭沼干拓事業による工事で消滅。「封内風土記」では長さ二一町五〇間、横八町二〇間。また「封内名蹟志」によれば、馬場谷地(ばばやち)(現涌谷町)・和田多沼(わだたぬま)・練牛(ねりうし)・大柳(おおやなぎ)の四ヵ村が沼を囲む大湖で、東辺は北(きた)村(現桃生郡河南町)に及んだ。付近はかつて江合(えあい)川・鳴瀬(なるせ)川が形成した氾濫原にあたり、遠田郡南部の溢水や江合川の逆水が流れ込む遊水池であった。一方、南東方の桃生(ものう)郡にとっては重要な用水源であり、寛文五年(一六六五)鳥谷坂(とやさか)(現河南町前谷地)の潜穴を通じて広淵(ひろぶち)沼(現河南町)に導き深谷(ふかや)地区など八ヵ村の耕地を潤していた。古くから当地方の野谷地は在地の土豪や農民によって開発がすすめられたらしく、その苦労は長者伝説として伝えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by