向丁(読み)むこうちよう

日本歴史地名大系 「向丁」の解説

向丁
むこうちよう

[現在地名]高梁市向町

てら町の西側にあった家中屋敷町。城下町草創期に鷹匠の屋敷があったところから、鷹匠たかしよう丁とも称していた。北は下谷しもだに(現紺屋町川)、南は間之あいの町に至る一町五三間の道沿いに家中屋敷と寺院が並んでいた。元禄(一六八八―一七〇四)初年には一〇〇―二〇〇石取の家中屋敷一八があり(御家内之記「水谷史」芳賀家蔵)、藩主石川総慶時代には一五〇―二〇〇坪の家中屋敷一二のほか、本久ほんきゆう寺や御先手組の借地があった(「松山城下絵図」三重県亀山市立図書館蔵)。延享元年(一七四四)には家中屋敷一三のほか、町の入口に木戸があり木戸番屋敷一があった(「松山家中屋敷覚」高梁市立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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