向笠郷(読み)むかさごう

日本歴史地名大系 「向笠郷」の解説

向笠郷
むかさごう

太田おおた川右岸、磐田原台地東端向笠西むかさにし向笠竹之内むかさたけのうち向笠新屋むかさあらや笠梅かさうめ一帯に比定される。建久三年(一一九二)八月日の伊勢神宮神領注文写(神宮雑書)に伊勢神宮の遠江国の新封戸が文治元年(一一八五)官省符を受けて「向笠郷」に成立したとみえる。その後伊勢神宮領としての史料はみられず、あるいは「神鳳鈔」に記される篠原しのはら神戸九町三段小がこの新封戸に相当するとも考えられるが不明。建武二年(一三三五)九月二四日、向笠郷は足利尊氏から山城いわ清水しみず八幡宮に寄進された(「松雲公採集遺編類纂」所収石清水八幡宮文書)。貞和五年(一三四九)一二月一八日には向笠郷年貢一〇〇貫文と加賀国能美のみ(現石川県能美郡)地頭職とを相博することが、権少僧都某らの間で契約されている(「権少僧都法眼某契状」菊大路文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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