向粟崎村(読み)むかいあわがさきむら

日本歴史地名大系 「向粟崎村」の解説

向粟崎村
むかいあわがさきむら

[現在地名]内灘町向粟崎・向粟崎一―五丁目など

河北潟潟尻の大野おおの川の右岸、日本海に沿って広がる砂丘を背に大野川に面して集落を形成する。南は石川郡粟崎村、東対岸は同郡北間きたま村・須崎すざき(以上現金沢市)、北は本根布もとねぶ村。一般に「むこうあわがさき」ともよぶが、加越能村名記(加越能文庫)には「むかいあわがさき」とある。慶長六年(一六〇一)一二月、前田利長が石川・河北両郡一六ヵ村の浜方地子を免除したなかに「向あわが崎村」がみえる(加賀藩史料)。無高所で、寛文一〇年(一六七〇)の村御印(内灘町歴史民俗資料館蔵)では小物成のみ記載。地子銀五〇匁、外海船櫂役二八三匁五分(ほか四五匁五分退転)、猟船櫂役二六〇匁五分(うち七五匁五分出来)、外海引網役一二〇匁、六歩口銭三匁三分(出来)

寛文七年の御材木船割符のため船を改めた時の三ヵ国浦方三〇〇石積以上の船数覚(「御分国船持中定書等諸留」中山文書)によれば、二郎兵衛が七二〇石積(一四人乗)長兵衛が四二〇石積(一〇人乗)各一艘をもち、また文化四年(一八〇七)の向粟崎渡海船書上(内灘町史)によれば、二〇石積から六七〇石積までの渡海船が七艘あり、海運が盛んであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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