日本歴史地名大系 「向粟崎村」の解説
向粟崎村
むかいあわがさきむら
河北潟潟尻の
寛文七年の御材木船割符のため船を改めた時の三ヵ国浦方三〇〇石積以上の船数覚(「御分国船持中定書等諸留」中山文書)によれば、二郎兵衛が七二〇石積(一四人乗)、長兵衛が四二〇石積(一〇人乗)各一艘をもち、また文化四年(一八〇七)の向粟崎渡海船書上(内灘町史)によれば、二〇石積から六七〇石積までの渡海船が七艘あり、海運が盛んであった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報