吾妻 光俊
アヅマ ミツトシ
昭和期の労働法学者 一橋大学名誉教授。
- 生年
- 明治36(1903)年11月9日
- 没年
- 昭和48(1973)年4月21日
- 出生地
- 長野県
- 出身地
- 東京・麻布
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学法学部〔昭和3年〕卒
- 経歴
- 昭和11年東京商科大学(現・一橋大学)助教授、16〜42年教授。ドイツとアメリカの労働法研究を総合し、「労働力のコントロール」という概念を基礎として独自の労働法理論を築いた。25〜46年中央労働委員会公益委員を連続8期務めた。主な著書に「労働法」「労働法の展開」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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吾妻光俊 あづま-みつとし
1903-1973 昭和時代の労働法学者。
明治36年11月9日生まれ。横田秀雄の次男。横田正俊の弟。昭和16年東京商大(現一橋大)教授となり,戦後は中労委公益委員などをつとめた。ドイツとアメリカの労働法を研究し,独自の労働法理論をきずいた。昭和48年4月21日死去。69歳。東京出身。東京帝大卒。著作に「労働法」「労働協約」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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