労働者の使用者に対する関係にかかわる法規範の総体をいう。
今日、多くの人は雇用されて働いて、報酬を得ることで生活している。雇用の機会を得ることができるかどうか、どのように雇用されるかは、働く者がどのように生きていくか、にとって重大な問題である。労働法は、このように雇用されて働く労働者と雇用する側の使用者との関係をめぐり生じる諸問題を規整する法の総体をいう。したがって、民法や刑法などとは異なり、労働法という名の単一の法律があるわけではない。労働法は、雇用対策法、職業安定法などの「労働市場の法」、労働基準法および労働契約法、最低賃金法などの「個別的労働関係法」(労働保護法)、労働組合法、労働関係調整法を中心とする「集団的労働関係法」(労働団体法)、の三つの分野から構成されるが、その共通した理念は、資本主義社会において労働・生活する労働者の生存権あるいは人間の尊厳の具体的保障にある。
[寺田 博]
どのような働き方をするかは、人が生きていくうえで切実である。過重な労働はときとして健康破壊や死につながる。ことに使用者に雇用されて働く労働者にとっては、働き方を自分で決めることはできない。使用者との合意(=契約)によって働き方は決定されることになるが、両者の力関係の圧倒的な相違によって合意される働き方の内容は労働者に不利なもの、すなわち低賃金と劣悪な労働条件にならざるをえなくなる。資本主義の発展は、そうした働き方の決定方式を社会に広く及ぼし、労働者階級の貧困は深刻な社会問題となる。社会的に広汎に広がっていく労働者の貧困に対して、労働者の人間的な生活を確保しようとする二つの大きな動きが生まれてくる。一つは、労働者保護のために国家が労働者の働き方を規制し、労働条件の最低基準を定立する動きであり、もう一つは、貧困からの脱出を目ざして労働者自身が団結し、労働組合とその活動の法的承認を求める動きである。
この二つの大きな動きは、互いに影響を及ぼしながら発展し、その運動に押されて労働法は生まれてくる。
労働者保護と労働組合の法的な承認を主たる柱とする労働法は、近代市民法の胎内から生まれてきたということができる。すべての人間をいっさいの身分的拘束から解放された自由・平等・対等な市民としてとらえる市民法の原理は、封建的な身分的拘束から人々を解放し、資本主義社会の展開をもたらしたという面においては優れたものであった。しかし、市民法(=民法)が掲げる三つの基本原則、「私的所有権の絶対性」、「契約の自由」、「過失責任主義」は、使用者のもとで雇用されて働き、賃金を受け取る労働者と使用者の関係(労働関係)に適用されたとき、労働関係も対等・平等な労働者と使用者の自由な意思によって結ばれた契約関係(=雇用契約)としてとらえる。そして、締結された雇用契約は、労働者と使用者の双方を拘束することになる。契約は拘束する、という原則が労働者と使用者という経済的には不平等な関係に適用されると、労働者は圧倒的に不利な立場に追いやられる。なぜなら、生産手段を所有する使用者とは異なり日々自己の労働力を売らなければ(働かなければ)生活できない労働者は、仕事を求めるたくさんの失業者との競争もあって、どのような劣悪で不利な労働条件であったとしても受け入れざるをえない。どのような内容の賃金であれ労働条件であれ、いったん自由な意思によって合意された契約は、市民法では是認され、その結果は使用者には利潤を、労働者には貧困をもたらす。しかも、使用者はそのように購入した労働力を自由に利用し、処分できる権利をもつ。労働力は生きた労働者と切り離すことができない「商品」であるがゆえに、労働者は使用者の指揮命令のまま働くことを余儀なくされる。こうして、市民法のとらえる自由・平等・対等な労働者と使用者の関係は、実質的には不自由・不平等・隷属な関係に転化する。
さらに、契約の自由は使用者の採用の自由、契約の解約(=解雇)の自由を意味し、労働者は絶えず求職の困難や解雇による失業の脅威にさらされた。職を求める労働者には、営利職業紹介業が介在し、賃金のピンはねや強制労働が横行した。
こうした雇用関係のもとでの劣悪な労働条件や長時間労働による労働者の酷使は、必然的に労働災害の多発をもたらす。しかし、ここでも市民法の過失責任の原則が適用されると労働災害は労働者の自己責任とされ、労働者が労働災害で被った健康被害、生命の喪失への補償を使用者に求めることもきわめて困難であった。
このような労働者階級の窮乏化を背景に、労働者の生存と使用者からの自律を求める労働組合運動が生まれてくる。しかし、賃金や労働条件の改善を求める団結活動も、市民法により違法な存在とみなされる。労働組合という団結そのものが、個々の労働者と使用者の間の取引の自由を制限するものとして、ストライキのような団体行動は雇用契約上の労働義務違反や業務阻害行為として、市民法により厳しく禁圧された。
資本主義発展の初期の段階における労働者階級のこうした困窮の状況は、当時の市民法のもとでは解決されることはなかった。よりよい生存を求める労働者の運動は、二つの方向で市民法原理の修正を迫ることとなった。労働者保護のための法の制定と、労働者の団結承認の法の制定である。こうして労働法は二つの方向で生成し、展開することとなった。
[寺田 博]
労働条件について法律による直接的な規制を目ざしたものが労働者保護法である。労働者保護法は、労働条件や職場環境について一定の基準を定め、その実効性を確保するために監督制度や罰則を適用して、その遵守を使用者に強制するものである。
1802年、イギリスで最初の工場法が制定されて以降、19世紀中ごろからその他の国でも展開をみる。当初は、鉱山や工場における年少者や女性労働者を対象とする恩恵的・例外的な立法としてスタートし、内容も労働時間や安全衛生などに限定された低水準のものであったが、その後しだいに基準が改善され、適用対象も成人男子労働者にも拡大し、規制の領域も休日・休暇、さらには最低賃金へと労働条件全体に及ぶものとなる。
労働災害については、「過失責任の原則」が修正される。労働者の業務上の災害に対しては、使用者の過失の立証を要せずに(無過失責任)使用者から一定額の補償を受けることのできる労災補償制度が樹立され、それはさらに労災保険制度に発展する。
20世紀になると、失業問題に対して国の職業紹介や職業訓練サービス制度が導入され、失業者に対して失業保険を給付し、営利職業紹介事業を規制する法が制定された。さらに解雇に対しては使用者の解雇権を規制する立法も成立する。
日本では、1911年(明治44)になってようやく工場法が制定されるが、内容的には低水準のものにとどまった。国際的には、1919年にILO(国際労働機関)が設立され、国際的な労働基準の形成と普及が図られることとなる。
他方、労働者の団結の承認、労働組合活動の自由を求める運動は、当初、国家により徹底的に弾圧され、厳しく処罰されたが、それでも労働組合運動はやまることなく、19世紀の後半にはヨーロッパで団結禁止法制が廃止され、団結の放任政策がとられ、20世紀になると積極的に団結を承認するという段階に入る。(1)労働組合とその活動に対する国家的な抑圧からの解放、(2)労働組合に対する使用者の干渉の排除、(3)労働組合とその活動に対する市民法上の責任の排除、を内容とする積極的団結放任政策は、1919年のドイツ・ワイマール憲法による団結権の保障、1935年のアメリカのワグナー法において現実化された。
日本では、第二次世界大戦の終了まで労働組合は厳しい禁圧体制のもとに置かれていたが、敗戦後の1945年(昭和20)、旧労働組合法が抑圧体制からの解放を鮮明にし、翌1946年の日本国憲法第28条で団結権、団体交渉権、団体行動権が保障されたことで、労働組合に対する積極的承認が実現した。
[寺田 博]
労働法が対象とする労働は、みてきたように、労働一般ではなく、あくまでも他人に雇用されて労働し、賃金を支払われる関係(=賃労働関係)である。労働法がその対象の独自性を追求するために用いてきたのが「従属労働」の概念である。この点で労働法は従属労働に関する法とされる。
労働法は、雇用契約の当事者としての使用者と労働者が法的には自由・平等・対等な主体とされながらも、現実には労働者が使用者に従属せざるをえないことを法的事実として承認し、その従属性から生ずるさまざまな弊害を緩和するものとして形成されてきた。従属労働とは、労働者の多くが労働過程において使用者の指揮命令に服従して労務を提供せざるをえない地位にあること、すなわち「人的従属性」を中核として、さらにこれに「経済的従属性」と「階級的従属性」の要素を結び付けた概念である。経済的従属性とは、労働者が労働条件決定過程においても使用者に対して圧倒的不利な経済的立場に置かれていること、階級的従属性とは使用者に雇用されることなくして労働者は自己の生活を維持できない階級的な地位にあることを意味する。労働法は、このような従属労働関係のもとに置かれている従属労働者に適用される法である。労働法の独自性は、労働の従属性を規制対象とする点にある。
労働法における「人間像」は、市民法がすべて人を抽象的個人としてのみとらえたのに対して、なんらかの社会に帰属し、社会的弱者、経済的困窮者という立場にある社会的実在としてとらえる。労働法の人間像(=労働者像)は、市民法の抽象的人間像から、いわば「生きた人間」としての具体的人間像へと転化する。労働法ではまた、労働者個人のみならず、労働組合という社会的集団も法主体としてとらえることから、国家と個人との間に労働組合という社会集団も法認され、市民法の個人主義法的性格に集団主義的な要素が加えられている。市民法の個人主義的「人間像」に対置して「社会的存在」としての人間像をとらえる社会法という視座からは、労働法は社会保障法とともに社会法の法分野に属する。
[寺田 博]
労働法の人間像、労働者像は労働法の基本理念と結び付く。従属労働のもとに置かれた労働者の労働と生活を直視してそこから派生する諸問題の解決を目ざす労働法の理念は、労働者の「人たるに値する生活」(労働基準法1条1項)の実現を目ざすものであり、その意味では、生存権(憲法25条)こそがまず労働法の主たる理念となる。労働者が実質的な自律を目ざし、労働条件の決定に関与し、実質的な意味での自由・対等を実現していくためには、生存権にとどまらず、労働者の人間としての尊厳(憲法13条)の実現が不可欠であり、人間の尊厳も労働法の指導理念となる。
[寺田 博]
法の存在形式のことを法源といい、裁判において裁判官の判断基準となるべき規範を意味する。一般には制定法が法源のうちでもっとも重要であるが、労働法の場合には施行規則も重要である。とくに労働基準法の規定は大綱的なものであるから、その施行のために必要な細目的事項を定める施行規則の役割は大きい。また、厚生労働省が労働行政の実際にあたり発する訓令、通牒(つうちょう)などの解釈例規は、実務上、裁判上の解釈に影響を与えている。
判例が独自の法源かどうかについては議論があるが、労働法において判例はきわめて重要な役割を果たしている。日々発生する労使紛争は流動的、発展的であるため、立法による対応には限界がある。したがって実際の問題処理について判例に依拠せざるをえない場合が多い。解雇権濫用法理や安全配慮義務理論が一種の判例法とよばれるのも、こうした事情による。2007年(平成19)に制定された労働契約法は、判例法を立法に取り込んだものである。
労働法の法源の最大の特色は、就業規則や労働協約のような労使による自主的な規範の設定を立法自体が尊重し、労働協約の規範的効力(労働基準法16条)のように特別な法的効力を付与していることにある。労働法が基盤とするのは労使が対抗する場であることから、制定法で画一的に規制することに適さず、こうした社会的自主法に法源を求めたのである。就業規則や労働協約、労働組合規約などの社会的自主法のみならず、労働慣行もまた法源となる。
労働法に固有な法源として、国際労働法とよばれるILO条約(国際労働条約)・勧告がある。1919年の創設以来、ILOの採択した条約は180を超え、国際労働法典を形成し、世界各国の「基準的立法案」として機能している。条約は批准によって国内法の法源としての効力をもつことになる。しかし、日本の条約批准数が48と先進国のなかでは最低レベルにあることを考慮すると、多数の国により批准された条約は「確立された国際法規」(憲法98条2項)として、さもなければ、少なくとも憲法を含む法規の解釈基準としての法源性をもつべきと解される。ILOのほかにも国際連合、OECD(経済協力開発機構)、EU(ヨーロッパ連合)などの国際機関の採択した条約、指令、判決、報告などがある。このうち、とりわけEUの結成に伴うEU労働法は、世界のなかの地域的労働法の形成として重要である。
[寺田 博]
労働法は、個々の労働者と使用者の関係を規律する個別的労働関係、労働者の集団的活動と使用者(または使用者団体)との関係を規律する集団的労働関係、の二つの領域を中心に体系化が図られてきた。前者の領域をカバーするものが個別的労働関係法(労働保護法)で、個々の労働者と使用者の間の労働契約や労働条件基準などを規律する。日本の制定法としては、労働基準法を中心に最低賃金法、労働安全衛生法などがある。後者は集団的労働関係法(労働団体法)とよばれ、労働者の団結体である労働組合の結成、組織、運営および労働組合と使用者またはその団体との団体交渉、争議行為などを規整する。労働組合法、労働関係調整法などがこれにあたる。この二つの領域からなる労働法の体系に加えて、1973年(昭和48)の第一次石油危機を契機とする低成長下で雇用・失業問題が労働法に密接に関連する法の領域と意識され、「雇用保障法」ないし「労働市場の法」という独立した第三の領域が確立された。これは、雇用が成立する以前の労働者と使用者の求職・求人関係を対象とし、雇用対策法、職業安定法、雇用保険法などの法が含まれる。
労働法の体系に即して日本国憲法をみると、雇用保障や失業対策に関する「労働市場の法」については、憲法は第27条1項において国民の勤労の権利および義務を定め、労働権を保障する。「個別的労働関係法」は憲法第27条2項が「賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準」について、労働基準法や最低賃金法などの労働保護法の制定を命じている。「集団的労働関係法」については、憲法第28条が勤労者の団結権、団体交渉権、および団体行動権を保障している。27条、28条の基礎には、憲法第25条の国民の生存権保障の理念がある。生存権保障の基本原則は「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」(労働基準法1条1項)という労働条件原則で具体化され、労働法全体の指導原理となっている。
国際法についてみると、これら三つの領域の権利は社会的人権規定の一環として保障され、これらの人権が人間に固有の尊厳に由来するものであることが宣明されている。すなわち、世界人権宣言は「すべて人は、労働し、職業を自由に選択し、公正かつ有利な労働条件を確保し、及び失業に対する保護を受ける機会を有」(23条1項)し、さらに「すべて人は、自己の利益を保護するために労働組合を組織し、及びこれに加入する権利を有する」(同条4項)と宣言する。これを受けて、国際人権規約A規約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」は、「すべての者」に「自由に選択し又は承諾する労働によって生計を立てる機会を得る権利」(6条)と「公正かつ良好な労働条件を享受する権利」(7条)を保障し、かつ労働組合を結成し、加入する権利などの団結権(8条)を認める。これは、すべての労働者に、雇用の機会を求める場合には、なんらの差別もなく、自由に選択し承認できる使用者・職種などの条件のもとで働く雇用保障法上の権利が、また一定の使用者のもとで労働する場合には、公正かつ有利な労働条件を享受する労働保護法上の権利が保障されていること、さらにすべての労働者が、労働市場においても、あるいは雇用関係の場においても、その経済的・社会的地位向上のために団結し団体行動する権利を有することを明らかにしている。そして、こうした権利の享受を通して「人間の尊厳」に値する生存が志向されているのである。
[寺田 博]
憲法の理念のもとに形成、体系化されてきた戦後労働法は、高度経済成長期以降の大企業を中心とした日本的労使関係のもとで展開する。終身雇用、年功制、企業内組合を三つの柱とする日本的雇用慣行は労働法の解釈、運用に大きな影響を与えた。しかし、高度経済成長の終わる1970年代以降、その見直しが進められる。
1990年代の長期不況を背景に、ことに1995年(平成7)の日経連(日本経営者団体連盟)の「新時代の日本的経営」が終身雇用、年功序列賃金について抜本的な見直しを提言したことを契機として、日本的労使関係は大きく変質し、(1)パート・派遣労働者などの増加による雇用形態の多様化、働き方の変化、(2)リストラの名のもと正社員の解雇・退職の強要による長期雇用慣行の空洞化、(3)賃金・人事管理における年功よりも能力・成果を重視する傾向、などが顕著となる。
国は構造改革、規制緩和策をとり、こうした経営政策を助長するために労働法の規制緩和を推し進める。1998年の労働基準法改正(有期契約の上限期間の延長、企画業務型裁量労働制の導入など)、1999年の労働者派遣法改正(派遣業務のネガティブリスト化)、職業安定法改正(営利職業紹介の原則自由化)、2003年(平成15)の労働基準法再改正、労働者派遣法の改正、などである。
こうした一連の労働法改正によって、戦後労働法の基本原則は大きく修正された。経営政策の転換と労働法制の規制緩和は大量のワーキングプア層を生み出し、かつて、「一億総中流」といわれた日本社会は、一挙に貧困率が増大し、貧富格差が広がり、深刻な格差社会へと転落した。格差拡大をもたらした最大の要因は、正規労働者に比べ賃金が圧倒的に低い非正規労働者の増加や非正規労働者間の格差の拡大など、労働者間の格差拡大にある。このような労働者間格差を是正するために、2007年のパート労働法(現、パートタイム・有期雇用労働法)や最低賃金法の改正がなされ、また、偽装派遣などに対する労働者派遣の規制強化を求める声に応じた形で、2012年に労働者派遣法が改正された。しかし、肝心な登録型派遣や製造業派遣禁止は見送られている。他方、従来の正社員労働者に対しても、その過酷で異常な長時間労働や「偽装管理職」などにみられる法の逸脱に対する規制の強化も求められている。これに対し、企業経営者の側からは、経済のグローバル化による企業間競争を生き残るために、さらなる規制緩和を求める声も強い。
こうしたなかで、労働法は従来の適用範囲や基本構造について再検討を迫られている。同時に、女性、高齢者、外国人労働者、障害者などの権利をどのように保障・実現するか、という重要な課題の解決も迫られている。
[寺田 博]
『沼田稲次郎編『労働法事典』(1979・労働旬報社)』▽『沼田稲次郎著『労働法入門』(1980・青林書院新社)』▽『西谷敏著『労働法における個人と集団』(1992・有斐閣)』▽『日本労働法学会編『講座・21世紀の労働法』全8巻(2000・有斐閣)』▽『角田邦重・毛塚勝利・浅倉むつ子編『労働法の争点』第3版(2004・有斐閣)』▽『柳屋孝安著『現代労働法と労働者概念』(2005・信山社)』▽『浜村彰著『ベーシック労働法』第2版増補版(2006・有斐閣)』▽『菅野和夫著『労働法』第8版(2008・弘文堂)』▽『西谷敏著『労働法』(2008・日本評論社)』▽『外尾健一著『労働法入門』第7版(2009・有斐閣)』▽『荒木尚志著『労働法』(2009・有斐閣)』▽『土田道夫・豊川義明・和田肇著『ウォッチング労働法』第3版(2009・有斐閣)』▽『下井隆史著『労働法』第4版(2009・有斐閣)』▽『中窪裕也・野田進・和田肇著『労働法の世界』第9版(2011・有斐閣)』▽『浅倉むつ子・島田陽一・盛誠吾著『労働法』第4版(2011・有斐閣)』▽『大内伸哉著『労働の正義を考えよう――労働判例からみえるもの』(2012・有斐閣)』▽『水町勇一郎著『労働法』第4版(2012・有斐閣)』▽『水町勇一郎著『労働法入門』(岩波新書)』▽『浜口桂一郎著『日本の雇用と労働法』(日経文庫)』
人間の労働者としての側面における諸関係を規律する法。労働法が独立した法領域であるといわれるためには,その対象が他の法領域においては処理しえないものであること,および労働法独自の統一的基本原理が存在することが必要である。
労働法は,資本制経済体制の下で発生する労働問題を解決するための法として発達してきた。資本制経済の下での労働問題は産業革命の進行とともに発生し,以来それは相互に関連する二つの系列の問題となって現代に至っている。一つは労働条件に関する問題であり,もう一つは労働者の自主的組織およびその運動をめぐるものである。
工場制度の下における不熟練労働者なかんずく女子・児童の低賃金と長時間労働,さらに劣悪な労働環境は,人道主義的な立場から,また労働力の再生産を危うくするという意味での現実主義的な立場からも,重大な社会問題となった。しかしこの問題を既存の法制度の枠組みの中で処理することは不可能であった。すなわち,近代市民法における契約自由の原則の下では,契約内容である労働条件は当事者間の合意によってのみ決定されるべきものであり,いかに低い労働条件であっても,それに本人が同意して契約を締結したものである以上,まったく合法かつ有効なものとみなされる。したがって,このような問題に対処するためには,新たな立法が必要となった。
19世紀に入って,まずイギリスで綿紡績業における児童の労働時間を1日12時間に制限する徒弟健康風紀法(1802)が制定され,続いてドイツ(プロイセン)では児童保護法(1839),フランスでは12歳以下の児童の労働時間を8時間に,16歳以下の労働時間を12時間に制限する労働立法(1841)が,それぞれ成立した。こうした労働者保護法は,この後女子労働者にも及び,20世紀初頭までには欧米および日本に広く普及するに至った。労働者保護立法が自由主義諸国で相次いで成立したことにより,従来の私的自治の原則,すなわち当事者間の権利義務関係は当事者が定めるという原則に対する修正として,〈労働条件の最低基準は国が定める〉という新たな原則が認められることとなった。日本の憲法27条2項はこの原則を明らかにしたものである。
資本制経済社会が生んだ第2の問題である労働組合とその運動をめぐる問題の解決についても,従来の法体制はまったく無力であった。中世の共同体による支配からの個人の解放を目ざした市民革命は,その結果として,個人のみを権利義務の主体とし,あらゆる団体を法の対象外に置く市民法体系をもたらした。フランス革命後のル・シャプリエ団結禁止法(ル・シャプリエ法。1791)が示すように,場合によっては市民・労働者の団体は明文をもって禁止されていたのである。このような体制の下で,国は労働組合およびその行為が法的には存在しないもの,または否定すべきものとして取り扱おうとするが,それによっては,組合運動をめぐる問題すなわち労働争議やそれがもたらす社会不安は解決しない。かくして国は争議ないし労使関係に介入せざるをえなくなる。そのことは,国に対し,第1に労働組合を法的にも存在するものとして扱うことを余儀なくさせ,第2に労使の言い分のいずれが正しくいずれに非があるかの判定者あるいは調整者の役割を課すことになる。まずイギリスでは団結禁止撤廃法(1824-25)により労働者の組合加入の自由が認められ,その後19世紀末にかけての一連の法律により労働組合の法的地位が強化され,労働争議法(1906)により組合の争議に対する民事免責が認められるに至った。フランスでは1864年に法が団結禁止を撤廃し,次いで労働組合法(1884)が組合加入の自由を認め,またアメリカでは,ハント事件判決(1842)により組合の団体活動を刑事共謀であるとする判例法理が廃棄され,20世紀に入ってクレートン法(1914),およびノリス=ラ・ガーディア法(1932)により争議行為の民事免責が認められるに至る。一方,ドイツその他の西欧諸国でも,第1次大戦前後までには労働組合活動の自由が認められ,第2次大戦後までには,なんらかのかたちで争議行為の民事・刑事免責が与えられることになった。
このように労働組合とその活動に対する自由主義諸国の政策は弾圧,放任,保護,さらに規制の段階をたどるが,この過程を通じて,個人のみを法的存在とみる市民法の法理は修正を迫られ,労働組合は実体法および手続法上の行為主体としての地位を確立するに至る。かつてはその集団性のゆえに刑事もしくは民事共謀に当たる違法な行為とされた同盟罷業(ストライキ)その他の団体活動も,新たな団体法理の下においては,正当かつ合法な行為とみなされる。すなわち労働者の団結する権利および団体行動をする権利(日本国憲法はその28条で規定している)が確立したのである。
資本制経済がもたらす個別的労働関係もしくは雇用関係および集団的労働関係をめぐる二つの系列の労働問題は,こうして新しい法領域である労働法を生み出し発達させた。そこでは一方において労働条件の最低基準が法定され,労働災害に対する使用者の無過失責任ないし社会的責任が認められ,他方,雇用の創出,失業者救済,職業紹介,職業訓練等の施策が政府の手によって行われ,さらにまたみずからの経済的・社会的地位の向上を目ざす労働者の自主的団体活動が保障される。これらの法制度に共通して流れるものは,国民の健康で文化的な最低限度の生活を維持することを国の責務と考える福祉国家観であり,生存権思想である(日本国憲法25条)。
労働問題は20世紀後半に入るとしだいにその独立性が薄れ,その問題性が広がって,他の社会問題ないし市民一般の問題の中に解消される。すなわち雇用差別は一般的な差別問題の一部となり,労働災害問題は他の災害問題と併行して論じられ,安全衛生問題はあらゆる法律関係の当事者間に共通して存在する安全配慮義務をめぐる問題の一つとされ,雇用問題は高齢者問題等の一側面としてとらえられることになる。経済的弱者である労働者が提起した労働問題と,それを処理するための労働法の発達に触発され,あらゆる社会的弱者をめぐる新たな市民=社会問題という範疇が生まれた。すなわち,労働法はすでに確立していた社会保障法と並んで,生存権理念を中心に据えた新たな法体系である社会法の尖兵たる役割を果たすことになったのである。
資本制経済はあらゆるものを商品化する。労働法は労働力の商品化に伴う問題を解決するために生まれたものであり,したがって労働法の特質は労働力の商品としての特殊性と対応する。ところで商品としての労働力は次の三つの特質をもっている。第1に労働力は売惜しみに適さない。このことはその売手である労働者を取引上弱い立場に置くことになる。第2に労働力という商品の内容が客観的に確定していない。通常の商品の場合,その使用価値がある程度その交換価値を規定しているのに対し,労働力の評価はまったく需給関係や取引のしかたによって定まる。また通常の商品はどのように使われるかがおよそ決まっているのに対し,労働力はその買手しだいでどのようにでも使われうる。ところが労働力は他の商品と違って,売手の人格すなわちその肉体および精神と切り離すことができない--これが第3の特質である。したがって労働者は労働力の買手である使用者に事実上従属し,また人格的にも従属を強いられかねないことになる。
労働力が売惜しみに適さず,そのため労働者が取引上不利な立場にあることに対応して,国はいろいろなかたちで労働力の取引に介入しようとし,また同時にこうした労働者の弱い交渉力を強化するための諸策が講じられる。まず国は雇用政策を通じて労働力に対する需要の増加を図り,またみずから労働者に就業の機会を斡旋するなど,職業紹介の業務を通じて労働力取引の公正化を進めようとする。さらに最低賃金制により労働力の最低販売価額を定め,その販売価額以下での労働力の売買を禁止する。他方,労働者みずからが市場競争力を増大させるために労働組合を結成して,労働力という商品の市場の独占(ただし,この場合は他の商品市場の独占と異なり一時的なものに過ぎない)を図ることを保護しあるいは助成しようとする。こうして労働力の売買は,個別取引から集団取引にその比重が移ることになる。すなわち団体交渉制度の促進の一つの目的がそれである。
労働力の内容もしくは労働力の使われ方が使用者によって一方的に定められること(これを他人決定労働ということがある)に対しては,一方においては労働条件の最低基準の法定,他方においては団体交渉による労働条件の改善を推進し,同時に職業訓練制度その他の資格制度等を通じて,労働力の質的向上とその客観的評価基準の確立を図ろうとする。団体交渉の成果である労働協約の効力を使用者が一方的に定める就業規則あるいは個別労使間での雇傭契約に優越させ,もしくは協約の効力をその締結当事者である労働組合の構成員のみならず,同種の労働を行う他の者にも拡張させようとするのも,他人決定労働に代わる労働条件の共同決定を推し進めようとする考えのあらわれといえる。
労働力がその所有者である労働者の人格から切り離すことのできない商品であるということは,雇用契約の当事者の法的平等という建前にもかかわらず,事実上は労働者の使用者に対する全人格的従属をもたらしかねない。労働者が組合を結成し,使用者と団体交渉を行うことはかかる労働者の従属性を克服し,事実上も使用者と対等平等な立場に立つことを目ざすものである。また歴史的にも労働組合が労働条件の改善と並んで雇用保障をまず要求したのは,こうした従属性をもたらす一因となっている使用者の解雇権,すなわちいかなる理由によっても,理由の有無にかかわらず使用者は労働者を解雇できるという自由を制限することにより,労働者の従属性をより合理的なものにしようとする意図があったのである。協約自治の推進と並んで,各国の労働法がなんらかの形で使用者の解雇権を制限しようとしているのは,一つには解雇の恐怖の下での合理性のない従属をなくすことにより労使の実質的平等を確保しようとするものである。労働力と労働者の人格の不可分性はまた,労働災害に対する使用者の無過失責任を導く。労働災害補償制度が比較的早い時期に成立したのは,人道的な理由や現実的な配慮と並んで労働者は労働力とともにその生命や身体を売り渡しているわけではないのに,労働力が使われることによって生ずる生命や身体に対する危険を一方的に負うのは不当であるとか,労働力が使用されている間はその持主である労働者によるみずからの健康維持行為が制限されざるをえないのであるから,その間の安全や健康に対する注意義務は当然労働力を使用する者に課せられるべきであるという考え方があったのである。
労働力という商品の特質によって労働法は,第1に市民法における契約自由の原則ないし私的自治の原則を修正し労働条件法定主義を採り入れ,第2に従来の個人法に対する団体法の考え方を導入し,第3に過失責任主義に代えて無過失責任ないし社会的責任という考えを強調することになる。そしてこれらの労働法における諸原則はすべて一つの法的価値,すなわち国民の人間らしい生活を営む権利(生存権)を実現するためのものなのである。
労働法は労働力の商品としての特殊性ばかりでなく,労働力取引の特殊性に基づく特質を有する。まず労働力の売買においては売手と買手の立場が交替することはない。これが他の商品であれば,一人の人間があるときはその売手であっても他の場合は買手になるというように,売手と買手の立場が交換的である。ところが労働力以外に売る物を持たない労働者は,つねにその売手であり,買手になることはない。したがって他の商品の売買の場合は,たとえば法律の定めがいくらか買手に有利な結果をもたらすとしても,売手であった者が他の場合には買手になることを考えれば全体として不公平にはならないが,労働力の売買においてはそういうことがない。次に労働力の取引には売手である労働者の全生活がかかっている。第3に労働力の取引は1回限りのものではなく継続性を有する。さらに労働力取引をめぐる問題は前に述べた労働力という商品の不確定性と関連して,その買手の業務に応じて企業ごと産業ごとに大きく異なる。これらの諸事情からして,労働力の売買については,一つ一つの取引が労働者の立場から見て公平に行われるようなくふうが法制度のうえでも必要になってくる。労働力の特殊性に対応する労働法の特質は,その実体法としての側面における諸原理としてあらわれるのに対し,労働力取引の実態に由来する労働法の特質は,その解釈適用を行う際の配慮ないし手続法上の特質としてあらわれる。労働紛争処理のため特別の機関を設けるとか,労働関係事件の処理に関しては労使関係の実情に通じた者を判定者のなかに加えるとか,労働者側の挙証責任を軽減するとか,一般の民事事件では認められない特別な法的救済措置を命ずるといったことが,多かれ少なかれ労働事件の処理手続上認められるに至っている。労働法は個人を平均的人格としてとらえ,各人に等しく自由を保障することにより,おのずから各人がその能力と努力に応じた成果を得ることになるという近代市民法における予定調和的楽観主義を排し,だれでもが幸福に生きる権利をもつ,いわば血の通った人間であるとして,各人をそれぞれが置かれている経済的社会的な立場に応じて取り扱おうとする。かくして労働法の体制の下では国の役割,なかんずく行政の私的関係に対する関与が増大し,国はもはやかつてのように夜警機能さえ営んでいればよいとされる存在ではなくなる。
労働法の法源は,第1に労働法が資本制経済の発展に伴って発生したそのおりおりの労働問題を処理するという形で発達してきたために,多かれ少なかれ寄集め的になっている制定法(統一労働法典が設けられている例はラテン・アメリカの数ヵ国などきわめてまれである),第2にそうした断片的な制定法の欠けている部分を補うべき裁判所その他の労働事件審判機関における判断例,第3に労働協約,労働慣習および就業規則といった自主法規から成っている。日本の労働法もその例にもれないが,法体系としては他と比べて整然とした体裁をそなえている。すなわち,憲法25条の生存権規定を頂点として,一方においては憲法27条1項の勤労権規定を受けた雇用政策に関する一連の法規および同2項の最低労働条件法定の原則の下に制定された労働保護法規から成る個別的労働関係法が展開し,他方,憲法28条における団結権,団体交渉権,団体行動権のいわゆる労働三権の保障を具体化するものとして集団的労働関係法が展開する。
まず雇用政策に関する法律については,公共の職業紹介による労働力需給の調整と労働力取引の公正化を図り(職業安定法。1947公布),失業中の生活保障を行う(1947年公布の失業保険法は後に改正され,74年には雇用保険法となり積極的な失業防止策がとり入れられた)と同時に政府みずからが公共事業を行って雇用を創出する(緊急失業対策法。1949公布,1996廃止)など,比較的後見的補助的な政策から,しだいに企業に対し身体障害者等条件の不利な人を一定の割合で雇用することを求め,奨励金を支給し(1960年の〈身体障害者雇用促進法〉(1987年〈障害者雇用促進法〉と改称),71年の〈中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法〉(1986年〈高年齢者等の雇用の安定に関する法律〉と改称),72年の〈勤労婦人福祉法〉(1985年雇用機会均等法に改称)),総合的な雇用に関する需給の調節を通じて完全雇用を目ざし(雇用対策法。1966公布),公的職業訓練を実施するとともに企業内訓練の規格化と奨励を図り(1958年公布の職業訓練法の1969年改正法。1985年職業能力開発促進法に改称),さらに失業の防止と雇用の維持拡大のため企業に対し各種の助成援助措置を行う(雇用保険法。1974公布)というように積極的なものに変わっているが,その内容は諸外国における雇用政策の変遷と軌を一にしている。ただ1970年代以降,各国は雇用対策の一環として使用者の解雇権を制限する立法を成立させたが,日本においてはすでに判例法における解雇権濫用および解雇無効の法理や,労使自主法により雇用保障の実があがっていたところから,このような立法を必要としなかった点で特色を有する。
労働者保護については契約締結から解雇に至る労働条件の最低基準を包括的に定め(労働基準法。1947公布),保険制度を利用した労働災害補償制度を設立し(労働者災害補償保険法。1947公布),最低賃金の決定手続を定め(最低賃金法。1959公布),さらに企業における安全衛生体制の確立と安全衛生基準の整備を図るほか(労働安全衛生法。1972公布),1970年代以降の景気動向の深刻化に対応して退職手当の保全措置を企業に求め,倒産に際しての未払賃金の立替払いを行う(賃金の支払の確保等に関する法律。1976公布)。これら労働保護立法の内容が,立法時に労働運動の確立を見ていた国の場合と違って,賃金,労働時間以外の労働条件についても網羅的にその最低基準を定めもしくは法律で定めるべきものとされていることもあって,日本においては企業が労働条件等を一方的に定めている就業規則の法律との抵触(労働基準法92条1項)という形で紛争の起こることが多い。そのため個別的労働関係に関する判例法の発達は顕著であるが,それに比較してこの分野における労働協約の役割は小さくなっている。
集団的労働関係に関しては,労働組合の正当な活動や争議行為に対する刑事・民事免責を定め,そうした活動に対する使用者の妨害や団体交渉の拒否を不当労働行為として禁止したうえで労働委員会による特別の救済手続を設け,さらに労働協約の強行・直律的効力や拡張適用を定め(労働組合法。1949公布),労働争議の自主的解決を促すため労働委員会によってその調整を図り(労働関係調整法。1946公布),ある種の産業や労働者の争議行為に関して特別の規制を行い(〈電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律〉。1953公布),あるいはこれを禁止し特別の調整手続を設ける(公共企業体等労働関係法。1948公布,1986年〈国営企業労働関係法〉と改称)。日本の集団的労働関係法は,一方において産業別労働協約の最低労働基準としての役割が確立していた大陸国協約法を採り入れ,他方,企業レベル交渉における全国組合の主導権が確立しつつあったアメリカにおける団体交渉推進政策を導入したが,企業別組織を中心に展開する日本の労使は,法が設定するこれら労使対立を前提とした二つの制度のいずれも選択せず,利益の一致を目ざした話し合いとコンセンサスを核とする日本独特の制度を確立させるに至った。
日本の労働法制の特色の一つに労働仮処分制度の発達がある。労働事件訴訟が厳密な意味では必ずしもすでに与えられた権利の内容をめぐる争いであるとはいえないこと,全身的訴訟であり迅速な解決が望まれること,画一的な基準を当てはめて判断することが必ずしも妥当な解決をもたらすとはいえないことなどを理由として,諸外国では労働事件のための特別な処理手続や機関が設けられることが多い。しかし日本では,かかる特別な手続や機関を作るいとまもない第2次大戦後の経済的混乱期に,労働事件を何よりもすみやかに解決するために民事仮処分手続が利用され,以来この保全手続が労働関係民事事件の主流となり,この手続を通じて労働者の原職への復帰,賃金支払あるいは団体交渉応諾命令といった労働法特有の法的救済措置が生み出されたのである。
執筆者:松田 保彦
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