横田 正俊
ヨコタ マサトシ
昭和期の司法官 元・最高裁長官;元・公正取引委員会委員長。
- 生年
- 明治32(1899)年1月11日
- 没年
- 昭和59(1984)年7月1日
- 出生地
- 北海道函館市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部独法科〔大正12年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲一等旭日大綬章〔昭和44年〕
- 経歴
- 甲府地裁所長 昭和32年公取委員長 33年最高裁事務局長 35年東京高裁長官などを経て37年最高裁判事となり 41年8月から44年1月まで裁判官出身では初の第4代長官をつとめる。長官在任中は“全逓中郵事件”(41年10月判決)や“都教組事件”(44年4月)で公企体職員や公務員の争議行為を刑事罰から解放し 翻訳者らがわいせつ罪に問われた“悪徳の栄え事件”(44年10月)では「わいせつ文書に当たらぬ」とするなど 40年代の最高裁の柔軟路線を定着させた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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横田正俊
よこたまさとし
(1899―1984)
裁判官、もと最高裁判所長官。法学者としても活躍。北海道函館(はこだて)市生まれ。父横田秀雄は長野県出身で大審院長を務めた。1923年(大正12)東京帝国大学独法科卒業。東京地方裁判所、東京控訴院、大審院などの判事を歴任、47年(昭和22)公正取引委員会委員、52年同委員長となる。その後、58年最高裁判所事務総長、62年同裁判所判事となり、66年には第4代最高裁判所長官となった。69年定年退官。全逓中郵(ぜんていちゅうゆう)事件などでは労働者側に有利な憲法判断をした。著書に『法の心』(1971)などがある。
[淡路剛久]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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横田正俊 よこた-まさとし
1899-1984 昭和時代の裁判官。
明治32年1月11日生まれ。横田秀雄の長男。大審院判事,甲府地裁所長などをへて,昭和22年公正取引委員会委員,27年同委員長。のち最高裁事務総長,同判事などを歴任し,41年第4代最高裁長官となる。全逓中郵事件,都教組事件などを担当。柔軟な憲法解釈をとり注目された。昭和59年7月1日死去。85歳。北海道出身。東京帝大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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横田 正俊 (よこた まさとし)
生年月日:1899年1月11日
昭和時代の裁判官。最高裁長官;公正取引委員会委員長
1984年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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