中国、明(みん)代の文学者。字(あざな)は汝中(じょちゅう)、射陽山人と号す。淮安(わいなん)山陽(江蘇(こうそ)省淮安県)の人で、貧しい文人の出。幼いころから文名高く、画(え)もよくした。1544年(嘉靖23)貢生になったが、官は長興県丞(けんじょう)どまりで、ほとんど売文で生計をたて、貧困と不遇のうちに終わった。詩文の多くは散逸したが、当時の復古派とも交流があり、独自の繊細さ、奥深さをもつ。一方、神異の談も好んだといわれ、『淮安府志(わいなんふし)』の記述などから『西遊記』の作者に擬せられるが、確かでない。著に『射陽先生存稿』、『禹鼎志(うていし)』(序文)がある。
[桜井幸江]
…中国,明代の白話長編小説で四大奇書の一つ。作者は呉承恩(?‐1582?)といわれるが,明刊本の系統が明らかにならない限り断定できない。現存する最古の明刊本は1592年(万暦20)刊の世徳堂本であるが,それ以前にも数種類は存在していたらしい。…
…その作者はもはや市井の無名人だけでなく,教養ある文人も参加しはじめた。その一,二の例をあげれば,戯曲における明の湯顕祖,小説における明の呉承恩,清の呉敬梓(ごけいし)などがある。いずれも詩文集を伝え,湯顕祖は文人として著名な人物であった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」