日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉煕載」の意味・わかりやすい解説
呉煕載
ごきさい
(1799―1870)
中国、清(しん)代後期の書画・篆刻(てんこく)家。江蘇(こうそ)省儀徴の人。初名廷颺(ていよう)、煕載は字(あざな)。のち煕載を名とし、譲之(じょうし)を字としたが、同治帝の即位により、御名載淳を敬避して、譲之を名とした。号は晩学居士、言庵など。堂号師慎軒。儀徴の諸生にあげられたが、官途にはつかず、書画・篆刻を売って清貧孤高の生涯を送った。清代第一の批評家包世臣(ほうせいしん)に師事して楷(かい)行草を学び、篆隷篆刻は包の師の鄧石如(とうせきじょ)を祖述し、画は張賜寧に倣って花卉(かき)をよくした。彼の芸術はいずれももの静かで気品が高く、細やかな情趣に満ちているが、なかでも篆刻が優れているとされる。著述に『資治通鑑(しじつがん)地理今釈』、作品集に『師慎軒印存』『呉譲之印存』『呉譲之先生書画冊』など。
[筒井茂徳]
『謙慎書道会編『呉譲之の書画篆刻』(1978・二玄社)』