包世臣(読み)ほうせいしん(その他表記)Bāo Shì chén

改訂新版 世界大百科事典 「包世臣」の意味・わかりやすい解説

包世臣 (ほうせいしん)
Bāo Shì chén
生没年:1775-1855

中国,清代後期の政治家,書家,書論家。字は慎伯,号は倦翁。安徽省涇県の人。嘉慶13年(1808)の挙人。結局進士に合格せず,生涯幕友で終わったが,経世,軍事に早くより関心を有し,一見識を抱いていた。両江総督の幕友となって以来(1811),江蘇運河漕運の実務にかかわり,税糧の海運を主張した。経世家としての包世臣の重要な側面である。晩年,江西省新喩知県となったが1年で退官南京寓居中,太平天国の乱に遇い没した。書は欧陽詢,顔真卿から蘇軾(そしよく),董其昌に転じたが,やがて鄧石如の影響をうけて北派を唱導し,逆入平出,峻落反収の筆法を以て楷・行・草に独自の風を樹立した。《安呉四種》《芸舟双楫》などの著書がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「包世臣」の意味・わかりやすい解説

包世臣
ほうせいしん
(1775―1855)

中国、清(しん)代後期の書家、書論家。安徽(あんき)省涇(けい)県の人。字(あざな)は慎伯、号は倦翁(けんおう)、倦遊閣外史。出身地の古名にちなみ安呉先生といわれる。1808年(嘉慶13)の挙人。晩年に江西省新喩(しんゆ)県知事となるが、1年で退官、南京(ナンキン)に寓居(ぐうきょ)中、太平天国の乱にあい、避難の途中没した。性質は精悍(せいかん)で、塩制、経制の学に詳しく、兵家の書を好んだ。書は唐の欧陽詢(おうようじゅん)、顔真卿(がんしんけい)から宋(そう)の蘇軾(そしょく)、明(みん)の董其昌(とうきしょう)に転じたが、やがて鄧石如(とうせきじょ)の影響を受けて北派を唱導し、逆入平出(ぎゃくにゅうへいしゅつ)(起筆を左下から上に回して打ち込み、収筆を右下に出す)の筆法で楷行草(かいぎょうそう)に独自の気満の風を樹立した。『安呉四種』『藝舟双楫(げいしゅうそうしゅう)』などの著があり、門下呉煕載(ごきさい)らがいる。

[角井 博]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「包世臣」の意味・わかりやすい解説

包世臣
ほうせいしん
Bao Shi-chen

[生]乾隆40(1775)
[没]咸豊5(1855)
中国,清の学者,書家。 涇県 (安徽省) の人。字は慎伯,号は倦翁など。安呉先生と称された。軍事,経済を好んで研究し,生涯の大半を幕友として過し,郷兵の訓練,湖北四川省反乱討伐などにあたった。また江蘇省の運河,漕運行政にも従事。道光1 (1839) 年,江西省新喩県の知県となったが1年で解任された。書を好み欧陽詢董其昌 (とうきしょう) らの影響を受け,のち北碑に力を注ぎ,晩年はまた王羲之の風を好んで書いた。阮元 (げんげん) の説を受けて北碑に注目し,清代後半期の北碑の流行の素因となった。『倦遊閣帖』はその代表作。著書に『安呉四種』 (51) がある。

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世界大百科事典(旧版)内の包世臣の言及

【書】より

…なかでも鄧石如は古碑によって篆隷を深く究め,また北碑を学んで,碑学の開山となった。阮元が〈南北書派論〉〈北碑南帖論〉を著して北碑を書の正統として以後,この説は包世臣の《芸舟双楫》さらに康有為の《広芸舟双楫》などによって補訂され,北派の理論がうちたてられた。これにともない,実作面でも北碑の素朴な書に美の発揚を求めたり,あるいは碑帖を兼習したり,さらに金文,石鼓文,甲骨文にも書作の材料を求める者が現れ,百花斉放の観を呈するにいたった。…

※「包世臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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