和坂村(読み)かにがさかむら

日本歴史地名大系 「和坂村」の解説

和坂村
かにがさかむら

[現在地名]明石市和坂わさか一―三丁目・大道町だいどうちよう二丁目・西明石西町にしあかしにしまち一―二丁目・花園町はなぞのちよう和坂稲荷町わさかいなりちよう松の内まつのうち一―二丁目・硯町すずりちよう一―三丁目

明石川河口の西側、印南野いなみの台地東端に位置し、山陽道沿いに発展した内陸部の村。野々上組に所属。建武五年(一三三八)七月二六日丹生たんじよう(現神戸市北区)の南朝方が明石城に襲来、迎え撃った島津忠兼は翌二七日「加爾坂」の北で合戦しその後も警戒を続けた(同年閏七月二九日「島津忠兼軍忠状」越前島津家文書)嘉吉元年(一四四一)の嘉吉の乱に際し、大手の追討軍を迎え撃つため赤松勢は満祐の嫡子教康を大将に和坂に布陣した。八月二四日・二六日人丸ひとまる塚に陣した幕府軍との間で合戦があり、勝敗は決しなかったものの赤松勢は撤退した(「赤松盛衰記」など)。幕府軍の一員として「蟹坂」で戦った吉川経信は、細川持賢の感謝状をうけている(九月二日「細川持賢感状」吉川家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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