日本歴史地名大系 「和徳村」の解説 和徳村わつとくむら 青森県:弘前市和徳村[現在地名]弘前市和徳・東和徳(ひがしわつとく)町・野田(のだ)一―二丁目・表(おもて)町・大(おお)町一―三丁目・駅前(えきまえ)町・駅前一―三丁目・城東中央(じようとうちゆうおう)一丁目・稲田(いなだ)一―二丁目弘前城下の北東にあり、和徳町に接し、東は高崎(たかさき)村、北は堅田(かただ)村に続く。同城下より青森町へ向かう街道に沿う。天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「和徳」とある。弘前藩祖大浦為信が元亀二年(一五七一)に滅ぼした小山内讃岐の居城があったところで、この時下和徳(しもわつとく)に居城を構えていた讃岐の父永春も和徳城で討死している(津軽一統志)。元和年中御家臣姓名大概(津軽史)の八三騎のなかに「二百石 和徳村左京之進」「二百石 下和徳村喜与助」とあり、和徳村と下和徳村の両村があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by