日本歴史地名大系 「和徳町」の解説
和徳町
わつとくまち
[現在地名]弘前市和徳町
城の東側に位置し、
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「和徳」とあり、町内の稲荷神社は元亀二年(一五七一)大浦(津軽)為信が攻略した、南部方の武将和徳讃岐の居城跡という(津軽一統志、津軽歴代記類)。
「平山日記」の寛文一〇年(一六七〇)に、町内から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
城の東側に位置し、
天文年間(一五三二―五五)の津軽郡中名字に「和徳」とあり、町内の稲荷神社は元亀二年(一五七一)大浦(津軽)為信が攻略した、南部方の武将和徳讃岐の居城跡という(津軽一統志、津軽歴代記類)。
「平山日記」の寛文一〇年(一六七〇)に、町内から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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