和気庄(読み)わけのしよう

日本歴史地名大系 「和気庄」の解説

和気庄
わけのしよう

遺称地・比定地は不明。一般には「和名抄磐梨いわなし和気郷の郷名を継ぐものとされ、近世地誌類に記す郷村単位の和気庄に属する村々から現熊山町南部に比定される。なお、和気郡には近世に在町に指定された和気村(現和気郡和気町)がある。

奈良東大寺の造営料国であった備前国の建仁三年(一二〇三)の麦惣算用帳(東大史料編纂所蔵)に「和気郷」とみえ、「伊賀十□□」が収納責任にあたり、包遠が納入者で七六石余のうち七五石余が津納とある。承久の乱で当庄を本領とする一門八郎広経は天皇方についたため、当庄は幕府に没収され、のち紀伊熊野山に寄進された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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