和瀬村(読み)わしむら

日本歴史地名大系 「和瀬村」の解説

和瀬村
わしむら

[現在地名]徳之島町徳和瀬とくわせ

秋徳あきちゆ村の北に位置し、東部は海に臨む。地内に上里原うえさとばる山城やまぐしくなどの地名がある。別にネィージマ(根の集落)と称されるのは、近郷で最も早くから開けていたことに由来する。しぎや間切亀津かむいじのうちで、「三州御治世要覧」では東間切一二ヵ村のうちに「和瀬村」とある。享保一八年(一七三三)和瀬村下に唐船一艘が漂着、船は破損していたので捨て流し、乗組員一五人を陸に引揚げ、琉球に赴く予定であった東間切与人の大和瀬らに彼らを託している。


和瀬村
わせむら

[現在地名]住用村和瀬

金久かねく村の東に位置し、集落は住用湾に南面する。住用すむゆう間切のうちで、ワスィともいう。「大島私考」に住用間切一五ヵ村のうちとして「和瀬村」とみえ、高四三石余、うち享保内検後の開地は一石余。「南島雑話」に大船掛砂糖積入港の居船場としてみえる住用の「知寄」は和瀬の誤記とされ、湊の機能があったことが知られる。安政元年(一八五四)異国船一艘が和瀬沖へ来航して数日間沖に停泊、やがて村へ上陸してきたため村中が騒ぎ立てたが、掟役能盛喜がうまく取鎮めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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