和田夏十(読み)ワダ ナツト

20世紀日本人名事典 「和田夏十」の解説

和田 夏十
ワダ ナツト

昭和期のシナリオライター



生年
大正9(1920)年9月13日

没年
昭和58(1983)年2月18日

出身地
兵庫県姫路市

本名
市川 由美子

別名
洗礼名=スコラスチカ

学歴〔年〕
東京女子英専〔昭和16年〕卒

主な受賞名〔年〕
年間代表シナリオ(昭31 33 34 37 38年度)「ビルマ竪琴」「炎上」「野火」「破戒」「太平洋ひとりぼっち」,キネマ旬報賞脚本賞(第5回・昭34年度)「野火」「鍵」,毎日映画コンクール脚本賞(第17回・昭37年度)「私は二歳」「破戒」,アジア映画祭脚本賞〔昭和38年〕

経歴
郵便局勤務を経て、通訳として東宝撮影所に入る。藤本プロ同人として知り合った映画監督の市川崑と昭和23年結婚後、市川の勧めでシナリオを書き始めた。第1作は26年の夫婦合作による「恋人」。喜劇調の「足にさわった女」「愛人」等を書くが、28年の「プーさん」翌年の「億万長者」あたりから社会批判の鋭い脚本、精神性が深いものを書き始める。以後「ビルマの竪琴」「炎上」「野火」「破戒」などの脚本を書く。37年の「私は二歳」はホームドラマの傑作といわれる。38年にはアジア映画祭で脚本賞を受けた。47年渋谷カトリック教会で洗礼を受ける。著書に「成城町271番地」(共著)の他、没後谷川俊太郎の編により「和田夏十の本」が出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和田夏十」の解説

和田夏十 わだ-なつと

1920-1983 昭和時代後期の脚本家
大正9年9月13日生まれ。昭和23年映画監督市川崑(こん)と結婚,市川作品の脚本をかきはじめた。シナリオ作家協会シナリオ賞などおおくの賞をうける。昭和58年2月18日死去。62歳。兵庫県出身。東京女子大卒。本名は市川由美子。作品に「ビルマの竪琴(たてごと)」「破戒」「私は二歳」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「和田夏十」の解説

和田 夏十 (わだ なつと)

生年月日:1920年9月13日
昭和時代の脚本家
1983年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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