日本大百科全書(ニッポニカ) 「和賀」の意味・わかりやすい解説
和賀
わが
岩手県中南部、北上市の一地区。1955年(昭和30)藤根(ふじね)、横川目(よこかわめ)、岩崎の3村が合併して和賀村となり、翌年町制施行。1991年(平成3)北上市と合併。奥羽山脈の東縁に位置し、中央部を和賀川が東流、その河谷低地に集落と耕地が開ける。和賀川に沿ってJR北上線、国道107号が走る。中世は和賀氏の支配下にあり、江戸時代は盛岡藩領。和賀川の水を引いて、松岡堰(ぜき)(猿田堰とも。1668年完成)と奥寺堰(おくでらぜき)(1679年完成)が開削され水稲耕作の基盤ができ、さらに1964年湯田ダムの完成で後藤野(ごとうの)、岩崎地区の1800ヘクタールが開田した。農業の機械化、集約化が進み、乳牛、肉牛の畜産振興、和賀仙人鉱山(鉄鉱)、岩沢鉱山(石膏(せっこう))などの鉱業振興、竪川目(たてかわめ)工業団地の造成による企業誘致も図られている。夏油(げとう)川沿いの「夏油温泉の石灰華(げとうおんせんのせっかいか)」は特別天然記念物。東接する江釣子(えづりこ)地区にまたがり江釣子古墳群(国の史跡)がある。煤孫大乗神楽(すすまごだいじょうかぐら)(選択無形民俗文化財)、岩崎鬼剣舞(けんばい)などの民俗芸能も伝えられている。
[金野靜一]
『『和賀町史』(1977・和賀町)』